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長い苦月だった…

2008年 10月 1日

 今日から10月、神無月。9月ならぬ苦月は、長月の名の通り、長かった。ほんと、ひどい目にあった月でした。
 でも、泣いても笑っても、月日は過ぎて、お茶の花も咲いて…。


 今朝はまだ空に雲がかかっていて、草にもたくさん露が付いていました。
 …もう少し外に出ている時間が長ければ、写真も撮る機会があるのにねぇ…。そういえば、この一ヶ月、あの管理人の顔を見ない。こりゃ、完璧決裂だな。


 夜、大宮まで行って、日本共産党後援会の決起集会に出てきました。
 …スゴい人の数。絶対数の問題です。しかし、てっきり、委員長レベルの人が来て何か情勢の話でもしてくれるのかと思っていたけど、そんなアトラクションは全然ありませんでした。ユーモアのセンスのある普通の若い後援会員がワザとゴリゴリに話していたのが印象的でしたが、候補者の印象は正直薄かったかも…。
 受けとる人にもよるんだろうけど、ちょっと力みすぎな気もしましたし、「全力でがんばります」なんて言葉を聞きたいわけでもないので(これは立候補するなら当たり前だし)、もう少し候補者個人の問題意識と政策を絡めたものを押し出して喋ってほしかったかな。嫌味じゃなくて、おいらみたいに中途半端に囓っているんじゃないんだから、政局のことだってもっと語れるはずだもん。


 最後はこぶし振り上げて「がんばろう」と叫ぶのは、どこの団体でも同じっぽい。自民党でもやってるのかな。昔からそうだけど、あんまりこういうの、得意としないんですよね。
 でも、決起集会だから、みんなのやる気を高めるのが目的なんですよね。ま、こういうもんでしょ。
 あと、付け足し的に書いてしまうけど、青年後援会という形で出し物もあったけど、僕は草葉の陰から見ていました。あとで当人たちにも話はしといたけど、「何で青年らしさを押し出そうとするのか」と思うのです。正直、今時系若者系という感じのにじみ出ている"らしさ"は僕の性に合わないんです。普通に自分を表現すればいいんじゃない?自分にあった方法で。


 思っていたとおり、この決起集会で、mixiでこの前8人斬りしてしまったうちのひとりの女性に出会ってしまいました。何だか顔あわせづらい。あの時本命のひとりを斬ればそれで済んでいたのになぁ。早まったわ。いや、そもそも、斬ること自体、間違いだったのかもしれない。

 それと、去年の12月初旬の、Xデーの日記を読み返しました。パンドラの箱です。現実に直視することになりました。うん、今思えば中途半端な感情をかくのごとく書いていた事実は、ストーブの上に手を置いて大火傷した時並に痛い。それに、あの感情を翻した理由も、実はまだ自分の中で釈然としていない。でも、今でははっきりと、付き合うなんて感情は微塵もないといえる。改めて、惰性的だった自分に腹が立つ。そして、mixi8人斬りのごとく、その時から成長していない事実にも気がつく。更に、斬った相手が自分にしてきて嫌だったことを、別の人にやっていたことにも気がつく。
 地獄の歯車は、あの時からずっと回っているのだ。どこかに、自分は汚れた人間であるという感覚が残っているのだ。山に登っても、当時のことを人に喋っても、汚れ感はなくならない。例の"どアホ"級クソメールを送ってきて、それを嫌う理由にしたとしても、汚れ感はなくならない。
 後悔だけがずっと残る。何であの時、ちゃんと線を引いておかなかったんだろう。セックスに至らなくても、ああいうところまで至ってはならない。何で、「付き合う相手としては見られない」ときっちり言えなかったんだろう。それ以来、僕は人付き合い、特に異性との付き合いにトラウマを持つようになったのだ。因果応報とは言い過ぎだろうか。
 このトラウマは乗り越えられるのだろうか。この過ちを活かすことはできるのだろうか。同じ過ちを繰り返さずにこのさき生きていけるのだろうか。…悩んでもしかたのないことなんだけどね。
 ふうむ…、特定の人しか見ていない日記とはいえ、公開された場にこういうことを書くのは、適切なのかどうか…。もっとも、恥じて書けない状態であれば、結局乗り越えられていないのだとも思う。仮に誰かが中傷してきたとしても、乗り越えていれば何とも思わないはずなのだし。
 そう、ふうたろう絵日記は、ただのアトラクションではないんだ。自分の生活すべてを吐露する場なのだ。喜怒哀楽の記録なのだ。将来そのすべてを笑える日が来ることを待ち、その日には「よくがんばった」って言ってやるんだ。
 暗い日が続くけど、終わるまで書き続けよう。何気に、あと30日で3年ですわ。


天気:くもりのち晴れ(東京都板橋区・埼玉県大宮市・所沢市)

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