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20日-8時

2009年 6月 20日

 日を跨いで短い夜を楽しんでいます。気が付いたら2時だったので、さすがに先に寝る準備に入っていた人は、「2時に外で騒いでいるのはありえないっしょ」と。返す言葉もない。


 エロネタと政治と経済の話で、けっきょく5時まで盛り上がった朝は、強烈な睡眠不足で苦しむことになるのでした。6月19日がまだ続いていて、32時半という気分です。
 それでも、朝飯は、残飯をできるだけ出さないためにかなりがんばって食いました。従って、その後もグロッキー。


 昼、茨城県南部地区委員会(党の)で塩の人の送別会2弾をやります。これは、地域の人たちも含めたもので、ちらし寿司とかサバのフリッターとか煮物とかがありました。…が、グロッキーふうたろうは殆ど食べることができませんでした。


 そういう2段目の送別会のとき、グロッキーでろくに起きあがることもできなかったふうたろうは、浅い眠りを繰り返していましたが、夕方、足早に北海道に帰っていく塩の人を、委員長のUさんと共に大洗港まで見送るのでした。
 美野里PAで少し休憩したあと、塩の人、ことIさんの運転する車で大洗港まで。Uさんは一人先導。


 ふうたろうもよく使う大洗港。大いなる一人旅の始まりでもある大洗港の雰囲気が、今日は別れの枕詞のようです。


 柵を乗り越える人がいたりもしましたが、まあ、それは他人のふりをしておいて。


 さんふらわあさっぽろ号。18時間ほどかけて、苫小牧港に向かいます。あれだけ大騒ぎしていたあと、数人の見送りと、これから一人で旅立つ人と、言いようのない気持が込み上がってくるこの瞬間。


 じゃ、元気で。
 ふうたろうも、北海道で過ごしたいですわ、いつか。小さな山小屋とかで、少しの料理と趣のあるインテリアを飾って、山に生える草木や、岩、小動物、人たちと過ごしたい。この航路が復路と言える日がいつか来ますように。


 色々名残惜しみながら、再び、Uさんと土浦まで。さあ、ふうたろうも、所沢まで元気に帰ろう。色々体調が悪いけど、がんばろう。
 夜、帰ってきたらTさんからメールが入っていて、心をあっためながら、24時になる前に寝ました。-8時から始まった32時間の20日が終わります。
 さて、明日は新聞配達と、新しい家のことと、色々やんなきゃ。


天気:くもり時々晴れ(茨城県新治郡八郷町・土浦市・東茨城郡大洗町、移動中や帰宅後は含まない)
覚え書き:土浦駅前カレー屋・子どもふたりにガン見される(互いに独立の事象、カレー屋と西武池袋線と)

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