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ナガサキを駆け抜けて

2009年 8月 9日

 今日は最終日。朝飯もゆっくりできます。
 しかし、本当に、ここの飯はまずい。まあ、食事が出るだけマシというべきなのかもしれないが。
 調味料は周りにいる仲間たちだけ。


 昨日と違って、今日は雲が多めです。スッキリとした晴れの空は望めない?


 本当に、ここは、景色だけはいい。


 9時になって、ホテルを出発。観光バスで市民会館まで行く途中で、生協のグループがチャリでパレードをやっているのを見かけました。いやー、やっぱり市民レベルの平和運動の、メッカですなあ、長崎は。


 開会よりも30分くらい前の様子。まだ隙間はありますが…。


 どんどん人は入ってきます。そして、何気に関東地方の席は、暗くて遠い2階席。写真撮りづらいやろがヴォケェ~~!!


 鮨詰めの会場が出来上がりつつあります。いや、むしろ、会場というより、収容所ですな。満員電車なみに辛いッス。あぶれた人たちの阿鼻叫喚が…。


 優柔不断なふうたろう、間際になって、松山町の平和公園に向かいました。いったい、何回目?ここに来るの。
 しかも、持っていたはずのボイスレコーダが、ない。なくしたかと思ったけど、後で見つかることになる。なくしてたら、シャレになりませんぞ。


 更に、タイムリーに中に入れず、警官のおっちゃんにもなかば同情され、遠くから屈辱的に力道山(?)を眺めるのみ。


 裏口入園して、何となく入り込みました。
 ここも、遺跡なんですねえ。元々、刑務所のあたり、かな?


 三脚と一眼レフだけは持っていたので、とりあえず、できる限りの記録をば。
 でも、周囲は人の壁で、話を聞くどころではありませんでした。長崎市長の平和祈念式典の言葉を述べているものは、冊子になっているようなので、報告にはそれを使うしかない。
 どうも犬死に感を拭えない、行動だった。


 諦めて市民会館に戻ろうとしたとき、昨日の夜にも話した、病院職員で派遣された3人と出会いました。世界大会の閉会式にはもはや出る気が湧かなかったようですな。昨日・一昨日の分科会や開会式がキツかったらしい。いや、ふうたろうも、一昨日の開会式はキツかった。


 閉会式に戻ってきたら、ちょうど海外代表の発言が終わったところでした。このイベントに関する間の悪さは、秀逸ですな…。


 この原水爆禁止世界大会の基本は、繋がること。開会式の時、誰かが喋っていましたな、平和の始まりは、まず隣人と仲良くすること、みたいなことを。だから、ここで、一時的に仲良いだけではつまらんのですね。


 舞台イッパイに、主に若い人が集まって、うたごえ系の歌で盛り上がっています。ふうたろうは、やっぱり何といわれようと、これには入り込めないのですねえ。


 閉会式が終わったら、一旦集合後、ふうたろうは駅まで歩くことにしました。他にも歩く人はいましたが、何だか居づらかったので速度を上げて離脱し、先に市電で駅に向かった人に、向こうで合流することにしました。…が、そんなこと、かなうはずもなし。
 駅ビルでカレー屋の前をウロウロしていると、はぐれ埼玉組のふたりと出会ったので、辛いカレー屋に入りました。
 バテて食欲なし。


 帰りの電車も、基本殆ど、暇でした。しかも、新幹線に乗ってからは夜になったので、更に。使う予定だったパソコンの電源も、この帰りの新幹線には付いておらず、かなーり予定が狂いました。要求された手書きの感想文の前にポカーンとなり、隣のYくんがその感想文を書いていたら新幹線酔いしてしまい、ふうたろうたちの手前で車内販売の弁当が売り切れ、名古屋駅で仕入れてもらった弁当をいざ食べようとしたらまずくて、とにかくひどかったのです。
 名古屋駅から、埼玉組のメンバーが話の輪の中に入れてくれたので、今回の原水爆禁止世界大会のことなどを話していました。何だか、火花が飛んでいたみたいだけど、活動歴の長い人と短い人との間で、活動に対する認識が違うので、避けられないものですよね。基本、殆ど静観していました。
 熟練の人の、自分の言い過ぎに気が付いたり、歩み寄りがあったり、さっきまで軽そうな態度を取っていたやつが真剣に話し始めたり、なかなか、おもしろいですな。
 …本当はカンパのこととかの総括もしたいけど、それも詳報に回すとしますか。とりあえず、原水爆禁止世界大会inナガサキの日記は、これで終わります。参加者のみなさん、お疲れさまでした。主催者のみなさん、お世話になりました。…鮨詰めと一部の手際の悪さに苦労はしましたけど…。


天気:晴れ時々くもり、移動中は強い雨(長崎県長崎市、移動中を含む)

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