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継承は頭と身体で

2009年 8月 8日

 睡眠剤減量2日目の明くる朝。夜中何度も目が覚めて、眠りが浅く、朝が来た気がしない。でも、何とか、無事、朝を迎えました。


 これだけたくさんの種類があるのに、箸が動かない。ふうたろうの食欲がないこともひとつの理由に挙がるが、とりあえず、いたずらに飯がまずい。展望以外のメリットはないのか…。


 みんなより1時間半くらい出発が早いふうたろう。え?散歩でもするのか?違います。ふうたろう、原爆の遺跡巡りのフィールドワークに出るのですよ。だから、早めに出発。
 埼玉組の他の参加者にくっついて、集合場所へ向かいました。


 ふうたろう、人の名前が全然覚えられなくなってきています。名前が呼べない…。でも、すぐにその場で友達(一時的?)になれるのは、多少褒めてやってもいいかもしれない。
 この写真は、爆心地公園の生け垣に張ってあったクモの巣。


 ここが爆心地を示すところらしい。
 夥しい数の折り鶴が。
 着いたときはまだ8時前ということもあって(集合8時半)、あまり人もいませんでした。


 だから、仲間と話をしながら、周囲にあるものを見回してみる。
 何だろう、この柱。


 これは浦上天主堂の入口に当たる部分の、がれきです。
 元々ここに天主堂があったのか?いや、実は違うのです。


 これは、原爆炸裂時の地層です。茶碗などの陶磁器の欠片、なぜか、やっとこが落ちていたりもします。
 しかし、この地層、地上から数メートル下に、ガラス張りにされて少ししか見ることができません。


 生臭い川の水。いったい、何が流れているんだろう。
 原爆が爆発したとき、この川は、全身火傷に苦しむ人たちで地獄絵図のようになっていたそうだ。


 ボーッとしていたら、いつの間にか受付が始まっていて、かなり出遅れました。
 実は、同じ遺跡巡り分科会でも、コースがいくつかに分かれているようです。
 何と!健脚コースなるものが用意されているではないかっっっっっ!!!!
 しかも、山手の方に歩くというのだから、これぞ鴨が葱を背負ってくるというもの。迷うことなくこれに決めました。なお、このコースは、初めての企画だそうだ。バクチ、ですな。


 このフィールドワーク分科会に参加する人は、恐らく300人はいると思われます。人気の分科会なのです。


 ふうたろうたちのグループは、ガイドさんの来るのを待っていたのですが、何と、40分くらい忘れられていたみたい。暑い中、かなり待ったッス。


 この図は何か。
 詳報は後でするつもりですが、ガイドを務めてくれる被爆者の方が、山家をやりながら平和運動に取り組む理由を、話してくれているところです。


 まずは爆心地の前で解説。


 さっき、浦上天主堂のことを少し書きましたが、この本は、なぜ浦上天主堂のがれきがあんなところにポツンとあるのかを説明するために紹介されました。題名が、『ナガサキ 消えたもう一つの原爆ドーム』です。消えたって…?


 歩き始めてしばらくし、原爆資料館の近くを通ったところ、この作品。広島に行ったときもあったけど、これは何というのだろう。


 えっと、この像の名前、何といったかな。原爆の炎に焼かれて殺された子どもたちに、衣を着せている像、だったような気がするけど、後でレコーダで思い出すとしよう。


 そして、今日向かうは、写真右手の山の中腹。もちろん、山に登りに行くのではないですよ。


 原爆資料館で水分補給。冷蔵が追いつかず、温かいままのジュースが出てくる始末です。
 …この暑さは、本当にたまらない。


 これは被爆して割れた瓦ですが、何でこんな所にしまってあるんだろう。ガイドリーダーのMさん、サラッと流してたな。


 次は、長崎大学医学部。原爆が投下されたときの大学名は…長崎医科大学。爆心地からすぐ側です。生き残った医者たちの医療行為が続いたらしいけど…。


 放射線と熱は人を職種で選んだりはしない。この死者の数を見よ!


 ここで、アメリカ軍による原爆の(放射線の)影響の研究も行われたそうだ。


 このブロックは何か?
 これ、長崎医科大学の門の、石柱の一部です。爆風は秒速400mであらゆるものを吹き飛ばそうとします。石材やコンクリート、煉瓦でできた建物も、根こそぎ消し飛ぶことだってあるのです。


 爆風の風上側。
 10cmくらい浮かんでいるでしょうか。


 爆風の風下側。
 5cmくらい動いているでしょうか。


 石畳は当時のもののまま、といったっけ。8年前に来たとき、そんなことを教わったような教わっていないような気がする。


 長崎医科大学、現・長崎大学医学部を過ぎたら、坂がキツくなります。みんな息を切らして歩きます。
 でも、被爆した人たちは、このような坂を、水を求めて這いつくばって逃げたのです。


 次の地は墓地。
 浦上地区一帯は、天主堂という名の通り、キリスト教の人が多かったそうです。あまりふうたろう、歴史のことがわからないので、聞いてもよく解らないのですが。
 仏教の墓にしては、不思議な形していますものね。


 墓石を見ると、亡くなった方の日付が刻まれています。


 死因が書いてあるものもあります。また、年齢をよく見てください。


 一家全滅でしょうね。ひどい。


 墓を抜けると、お寺到着。ここが今日の、ほぼ目的地。穴弘法寺です。


 お寺の前でお参りをば。


 実は、このお寺、穴弘法寺も、被爆しました。爆心地から1200m。お寺の周りには助けを求め、あるいは逃げてきた被爆者たちが力尽きて、「死体がそれこそ散らばって」いたそうです。


 この穴弘法寺の住職は、実は38歳という若さです。したがって、戦争の経験も被爆体験もありません。しかし、先代の住職から聞き教わった当時のことを、ふうたろうたちに話してくれました。水出しのお茶を頂きながら。
 ええ、よく、伝わりました。このお寺を見ながら、周囲で力尽きた人たちの死体が累々と積み重なっている情景を、想像しましたよ。
 まあ、詳報は後ほど。


 智恵の仏様、だそうです。ふうたろうに、どうか心を宿してください。
 …などと、俗っぽい願いなんぞ、するべきではないか。


 本道から少し上に行ったところが、今日の頂ですので、もう少し上りましょう。
 坂道がスゴいですね。


 ホント、山に登っているときのような、不思議な気分です。


 ほぼ今日のゴール付近。山道に青息吐息。いい運動ですね。


 この何やら不安定な岩は何でしょう?
 これぞ、今日の遺跡のメインです。これは、爆心地から吹いてきた爆風が、この巨岩の頂を50cm~1mくらい、ずらしたのです。よくこの状態で、被爆後64年を平穏に過ごしたものですね。それとも、火山や地震、台風くらいでは動かないってこと?


 空がきれいですね。秋の空のようですが、64年前の長崎はどうだったのでしょう。
 青い空が見られるのは、平和なればこそですか。


 やや飛ばして、一気に浦上天主堂まで来ました。
 この、仏教的な像は、キリスト教徒ががんばって作ったものですね。
 でも、神に願いは届かず、首がもがれ、カテドラルは瓦礫の山と化し、最後には歴史からその姿を殆ど消されてしまう。無念ですな。


 本当は、ここが天主堂の入口だったん、ですよね?さっきの写真を見たら、今の浦上天主堂、入口がずいぶん後退しているんですね。


 これは浦上天主堂の鐘楼です。殆ど埋まって(埋められて?)いたのですが、この歴史を残すべく掘り返した人がいるんですね。


 この石材は、不自然に表面が平です。どうも、この天主堂の瓦礫を砕いて作ったそうでして。
 本気ですか?


 今日のミッションは終わりです。時刻にして13時頃。ホテル矢太楼の前に集まって動き始めてから丸6時間が経ちました。そりゃハラも減る?
 …と思ったけど、水分補給のためにジュースを飲み過ぎて、それほどハラは減りませんでした。しかも、この皿うどんや他の料理もまた、ひどくまずい。このへっぽこ料理がっ!


 まずい飯を食ったあと、平和公園をスルーして、原爆資料館へ。
 平和公園には、明日の式典に向けて、写真などが飾られつつ。


 式典の準備に、縁の下の力持ち、ならぬ、炎の下の力持ち。


 公園内にある、小綺麗な噴水。


 平和公園の正面階段。


 右翼がなぜかけたたましく街宣していく中、集合写真。


 原爆資料館の中にも大量の折り鶴が。
 ん?
 えっ??
 Σ(゚◇ ゚;)
 ふうたろう、はぐれました。
 どーすんだよ!


 さっき一緒に歩いた人は誰一人として会えず、結局、矢太楼に戻ってきましたよ。


 この後、基本的に明日の朝まで自由行動なのですが、大会に来てまで単独登山はありえないので、とりあえず、集合場所といわれた場所に向かいますよ。


 ちょっ!!!
 小
 が降ってきたやんけ!(゜◇゜)ガーン


 いつ雨に撃たれてもおかしくないけど、じっとしててもしょうがないから歩くのです。風頭公園。


 矢太楼からダイレクトに北方向に下山すると、17時に集合といわれていた市民会館(昨日の会場)に行き着くことになっています。階段がスゴいです。


 何だか、坂本龍馬でにぎわっているみたいです。何でか解らんけど。龍馬の坂とか道とか何とかいってるけど…。


 石垣の造りが、町並みの雰囲気をよくしています。はぐれて、雨にぶちのめされる不安の割には、けっこうしゃあしゃあとしていますな。


 実はそんなに不安でもなかったりするのかもしれませんな。まあ、おもしろくはないけど。
 市民会館に着いたら、『女性のつどい』なるものが行われようとしていました。
 これだけ人がいるのに、一人も知っている人がいやしねぇ…


 ところで、商魂逞しいですな。コラーゲンって…


 県常任委員のSちゃんに電話したら、なんか、ものすごく息を切らしながら、原爆資料館にみんないると言われました。
 市民会館から20分…ではいけないな。市電メタクソ混んでるぞ!!


 ものすごく犬死に感が強いんですが、みんなに会えたので良しとしましょう。
 しかし、灯籠、いいですな。
 流すところが見られないのが残念。


 力道山と、誰かが言っていた気がする。しかし、力道山を知らないふうたろう。
 ま、とりあえず、単純に平和祈念ということで立ち寄ってみましたとさ。


 松山町から市電に乗って、出島で下車。一体何回乗ったかこの市電。
 Iくんがリーダーを務めて歩き始めたので、それにしたがって歩いていると、海に着きました。本当の行き先はグラバー邸オランダ坂なのですが。
 ベラっぽいのが泳いでいますな。それとも、有毒なゴンズイかな?


 ハゼっぽいですね。
 マッタリしているのはふうたろうだけではないので、念のため。


 脇見歩きをして鉄の杭に膝をぶつけたりしましたが、無事オランダ坂。…の端。


 夕焼け空になろうとしています。


 空への食いつきはふうたろうだけ。だからみんなに置いてかれる。すぐに追いつくけど。


 ここはグラバー邸上部。600円の入館料を取られるので、ふうたろうは外で待っていました。ええ、一人ですが何かッ!?


 グラバー邸の入口(上)。ふうたろうは、また観光客たちのカメラマンになりました。


 グラバー邸(上)の側からも夜景がきれいです。ここで、静岡県から来たMくんと、初めて出会って、話をしていました。あと、民主青年同盟中央の…なんて名前だっけ。…。
 とりあえず、一人ではなかったです。まあ、夜景に黄昏れるってのも悪くはないけど。


 みんながぞろぞろとグラバー邸から出てきたら、次なる目的地は中華街。
 正直、昼のまずい皿うどんでウンザリしてしまったのですが、名物に美味いものなしってことで、諦めるべし。
 アレだ、経験値の足し、だな。


 期待したエビチリも、砂糖の入れすぎだ!いや、甜麺醤の入れすぎかな?ダメだ。
 m-(゚Д゚#)-m
 あるじを呼べ~~~!!!


 というわけで、ものすごくハードな1日でした。
 しかし、これで決して終わったわけではなく、夜が更けるまで、井戸端会議は続きます。たまたま6本目の自販機ドリンクを開けたときに病院職員の3人組と話をしました。組織の裏の部分の、ネガティヴな話でしたな。あえて詳しくは述べまい、3人には気の毒なことをする上層部がいるもんですわ。
 眠り始めたのは1時過ぎ。昨日の寝付きの悪さに比べたらずっとたやすく眠れました。睡眠剤4分の1でいけるようですな。
 さて、ザッと走ってきました。これに詳細(テープ起こし)をつけると想像すると、ゾッとするなあ。いったい、詳細報告はいつ出来上がるのやら。
 残るは1日。あっという間ですぞ。


天気:晴れのち時々雨(長崎県長崎市)
覚え書き:1000円写真集・カステラ・びわゼリー

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