Home > 未分類 > ちょっと暇だったもので

ちょっと暇だったもので

2010年 1月 22日

 少し寝覚めの悪い朝だった。7時前に目が覚めたけど、4度寝くらいしてしまって・・・。しかも、赤飯を丼(大)半分食べたらやっぱり食いすぎで苦しいし。


 今日は仕事の方も非常に暇で、のんびりしすぎてダルかった。時間があったので国会中継を見ていたけど、普天間基地の移設(縮小・撤去)問題は、「縮小や撤去」の方向に動かすのは並大抵のしんどさではないと思った。岡田外務相や鳩山総理の話を聞いていると、「(脅威の?)抑止力のために米軍が必要である」というのが前提となっていて、質問に立っていた共産党の赤嶺議員は「米軍は抑止力にはならない」ということが前提になっているから、とにかく基地を撤去しよう、では平行線だろう。
 沖縄に限らず、米兵の傍若無人さは目に余るものがあり、事故もひどいものであり、騒音などの被害も大きいものであるから、ない方がいいのは自明だと思う。あとは、この「抑止力のために米軍が必要」という前提が本当なのかどうか、議論をすべきなのだと思う。
 しかし、米軍が抑止力か否かを、どうやって証明するんだろう。日本は他国からの侵略を受けたことが、一応、戦後一度もない。かといって、その侵略がないことが米軍の存在によるものであるという証明にはならない。米軍の存在を、違う視点から悪いというのは確かに可能だけど、国民に広く浸透している意味での米軍の存在意義そのものを100%否定できるだろうか。実験もできないし、米軍がないという歴史も日本にはないから、この意識を変えるのは並大抵ではない、そう思う。
 在日米軍がアフガニスタンやイラクへの戦争に行っている(侵略軍である)、というのも、「そういう側面がある」という言い逃れをされたら反論できるだろうか。誰が見ても明らかな、「米軍の抑止力の絶対的否定」をどうやったらできるのか、実はずっと気になっている。ただ、どこが攻めてくるのか、といえば、思い当たる節はない。攻めるメリットも思いつかない。日本の経済市場がほしければ、むしろデメリットの方が大きいとさえ思う。ゆえに、米軍がいれば抑止力になっているとは、あまり思っていない。
 とはいえ、米軍基地の撤去には賛成だけど、決め手となる「否定」の方法がイマイチ思いつかない。それとも、否定しようとすることが、幻想なのか?
 この頃、ずーっと、集まってこういう学習会とかをやってないから、「思いて学ばざれば則ち殆うし」状態ですな…。
 明日は三峯から雲取山に登ろうと思います。


天気:くもり時々晴れ(東京都板橋区・埼玉県所沢市)
覚え書き:好日山荘から金券届く

Comments are closed.