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あの頃

2010年 4月 12日

 あまり鬱の日には日記を書きたくないな。
 だから、恒例ブラインド愚痴。


 好きな人、気になる人に、別の好きな人がいるのではないかと思うと、気持ちが異常に落ち着かなくなるのは、特に病気ではないのだとは思う。誰しもそういうものだとも思うから。でも、色々な意味で、その感情が、ふうたろうはかなり嫌いである。


 mixiの日記なんかを見ていると、友人・知人からのコメントがつく人はあっという間に二桁で数十に達する。一方で、ふうたろうのmixi日記にコメントが付くのは、10に1くらいではないかと思う。その差は何なのかと、昔から思う。そんなにつまらない存在なのかとさえ思う。
 しかし、こういうことを他人に言いたくはない。なぜなら、そういう発言そのものが、他人を束縛するからだ。そういうふうたろうの発言に人が振り回されるのは、ふうたろうが無視されること以上に虚しさを覚える。それくらいなら、無視されることを選ぶ。この文章をブラインドにしているのもそういう理由だ(読もうと思えば読めるんだけど)。
 いやいや、例え自分ひとりになろうとも自分を肯定してやれれば、そんな束縛だの何だのと悩む必要はなくなる。
 でも、そんなことできるか?ふうたろうは気むずかしい人間だし、変に頑固であるし、無力化と活発化の差は激しいし、誰がそんな人間に近寄るのか、誰がそんな人間を肯定できるのか。
 まあ、考えてもしょうがないと言えばそうなのだが、肯定できるかどうかだけでは実際済まない部分もあるわけだ。一応、ふうたろうも生物なので、食べものくらいは食べていかねばならない。だから、いっそのこと、人(心)との関係なんかいらない。カネとモノだけあればいい。そんな恐ろしい感情さえ頭をよぎることもある。カネがあれば、とりあえず生きてはいける。知識や技術も、カネを出せば一定買える。もちろん、モノはカネで買えるものが多い。心だけはカネで買うことはできないが(誰かは買えると宣ったがウソである)、どうせ手に入れられないものであれば同じであると思う。
 人を好きになったりするというのは、心の関係を育んでいる行動なのだと思う。でも、ふうたろうはそのスタートラインに立てている気がしない。自分を肯定できないというのはそういうことなのだ。

 それでも、何とか心の関係を育んでいた時代は、非常に少ないが、ふうたろうにも確かにあった。…どの時代でもいい。願わくば戻りたい。恋に限らず、心の関係を育んでいるときは、どんな種類の関係でも自信が持てるものなんだ。


天気:雨(東京都板橋区・埼玉県所沢市)

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