Home > ふうたろう旅日記 > 雪に佇む廃墟(羽幌炭坑跡:北海道苫前郡羽幌町)

雪に佇む廃墟(羽幌炭坑跡:北海道苫前郡羽幌町)

2006年 5月 4日

 今日の天売島は曇り。どうも天気が不安定なようです。ま、雨に打たれていないだけましでしょうか。9時7分頃、児玉民宿旅館を後にしました。ご主人が港まで車で送ってくださいました。
 港のおみやげ屋さんはまだ9時過ぎだというのにもう開店。島の人たちは健康的です。天売・焼尻自体にはそれほど名物となる加工品はありません。キーホルダーなども至って普通のものです。しかし、海草類は確かな逸品。ふのり、岩のり、みみのり、がらめ昆布など。まだすべて味を確認したわけではありませんが、食堂などで出てくるものは美味い。海藻類をおみやげにすることをお勧めするものです。

 船は曇っていたので寒かった。しかも、今日はジーンズで北国の強風の前ではまさに風前の灯火。体が一気に冷えました。部屋に入って『「慰安婦」と出会った女子大生たち』を読んでいました。後半、揺れがきつくなると、ゆりかごに乗っているかの如く、グースカ。1時間ほど、寝ていました。

 午後は上羽幌方面の炭坑跡巡り。野越民宿(焼尻島)でお会いした、治山業者の方の一人、Sさんが案内してくださいました。港を12時10分頃出て、廃墟のある辺りに来て気がついたら13時6分でした。遠い!
 最初に出てきたのは縦坑やトロッコに石炭を積み込む施設。雪や雪解け水で建物の損傷はひどく、コンクリートはやはり酸性雨の影響か、溶けています。壁は大きくぶち抜かれ、壁のトタンははがれ、窓ガラスはすべて割れ、くぼみには雪がたまり、線路跡は見る影もありません。砕けた石炭だけが炭坑跡を思わせます。


 しばらくすると中学校。北辰中学校(ほくしんちゅうがっこう)といいます。今や農機具がおかれていたり、何かを飼育していたりするようですが、35年前(1971年・昭和50年)には炭鉱労働者の子どもたちが勉強に勤しんでいたことでしょう。打ち付けられたドア、ほこりだらけの教室、穴の開いた床、取り外された黒板…。Sさんの話によると、炭鉱労働者は内地(本州)に行ってしまったといいます。もう、子どもたちの笑い声は帰らない。

 次は何の建物でしょう、「羽幌鉱業所」と看板。ペンキのはげた文字。黒くなったコンクリート。雪解け水がたまり、かつてここで石炭加工をしていたと思えません。

 最後はコンクリートの住宅。焼尻島の小田商店店長のお話によると、建てられたばかりのようでした。確かに、35年以上の年月がたって老朽化は進んでいるものの、使い込み具合はそれほどでもありません。ふと、69-R1棟の5階。コレクターや旅人などに荒らされた中、カレンダーと新聞紙。カレンダーには「お父さん今日も一日安全に」と書かれています。カレンダーの発行は羽労築別坑支部。炭鉱労働者の労組でしょうか。新聞は炭坑閉山(11月2日)の昭和45年9月26日付。お父さんや子どもたちはどこに行ってしまったのでしょう。

(住宅廃墟、拡大写真あります)

 近くにある太陽小学校跡。穴から覗くと天井から石綿のようなものが剥げています。もっとも、本物かどうかは解りませんが。ここもドアは打ち付けられています。中に入ろうと試みた人たちが窓ガラスを割っていますが、こういうことはしてはいけません。

 案内してくださったSさん。とても親切でした。ほかにも案内してくださったところはあります。羽幌の郷土資料館。炭坑に朝鮮からの強制労働者が働かされていた歴史もあることを知りました。…そういう問題は一刻も早く清算しないとね。

天気:曇り時々晴れ(北海道苫前郡羽幌町(天売島・市街))

Comments are closed.