人が食べるもの
今日は、久しぶりに昼、全員で食べに行きました。ふうたろうがまだ所沢にいる頃、食べに行くとなったら、あって当たり前であるかのように、むしゃむしゃとあまり何も考えずに食べていました。でも、ふうたろう、板橋区に引っ越してから外食は数えるほどしかしなくなりました。そして、食事を作ってもらう、ということがとても尊いものだとも思うようになりました。
一昨日、田沢湖駅前の食堂での隅で、16時半頃にふうたろうが入ったら、40代くらいのおばちゃんが新聞を読んで客を待っていた感じでしたが、すぐにご飯の準備をしてくれ、ふうたろうが携帯をいじっている間に玉子丼を出してくれました。
客と食堂の調理師との関係に過ぎないけど、ふうたろうは間違いなく、この人が手間をかけて作ってくれたものを食べて、生き延びたという気がするんです。妙にありがたい気分になったんですね。
それは、ミスタードーナツで、聞き慣れない東北の発音で新商品を紹介して出してくれたネーチャンも同じであり、そして、今日こうして近くのベトナム料理屋で作ってもらったチャーハンとフォーも同じです。食べ物を作る、出すというのはとても尊いこと。ミスドの場合は、若干違う意味合いもあるけどね。
ふうたろうは料理する頻度が増えたし、納豆などまで作るようになった。近くに行きつけのパン屋や鶏肉屋ができて、話し込むようにもなった。自分が料理をし、ものを作る人の顔を見る機会もできたのかも知れません。今の食を取り巻く諸々の不安や不信感は、こういうものの不足にあるのかも知れませんね。
あなたは誰が作ったものを食べていますか?どうやって作ったものか判りますか?なぜ食べているのかを知っていますか?
とかく身体の中に入れるもの、命の源としての食べ物だからことさらそういう意識を持ちがちだけど、人が作るものはみな、…労働で生まれるすべての生産物は、尊いのです。それを作る人と使う人との繋がりが保たれている間は。
天気図を見ると、梅雨前線が一気に北上しました。そして、東北地方が遅い梅雨入りです。関東地方も空の様子に夏のにおいが漂い始めました。これで梅雨も後半。梅雨明けが待ち遠しい。
天気:くもり時々晴れ、朝一時雨(東京都板橋区)
覚え書き:鶏レバーしぐれ煮とカボチャの煮干しだし汁煮、納豆16号消費・昨夜散髪
山に返り咲きたいオクラです。
白神の山々の風景にも、歯ぎしりとため息と…
ふうたろうさんの日記では、食べ物関係でも読みふけります。
化学が好きかも、と思って、仕事していたのですが、
脱サラして、お弁当屋を開きたいと妄想にふける今日この頃。
おととしくらいに「未来の食卓」という映画を見て以来なんですが。
ふうたろうさんは、おそらく、私より、ひと世代若い方だと思うのですが、
世代を超えて、こんな時代だからこそ、食べるものを、生き方を見直そう
という方が多いのかもしれませんね。
あら…歯ぎしりですか(汗
ふうたろうは、以前の日記にも書いていたかも知れませんが、誰かと一緒に何かすることを憧れていながら、それを恐れています。ただそれだけです。富山で飲み屋に入ったときに言われましたよ、「半人前だ」と。そういうことなのです。だから、やっぱり子育てして、毎日食いしばってがんばっていることもまた、大したことだと思います。
ふうたろうの食べ物関係は、そんなに中身のあることは書いていません。何かを調べているわけでもなく、ただ、見て思ったことを書いているだけで…思いて学ばざれば則ちあやうし、っていう孔子の言葉ですよね…。ホントは、もっとどうすればよくなるのか、とかを、勉強して書き込んでいければ良いんですけど、山が忙しいから無理です(笑
ふうたろうの世代、ですか。日記のどこかにはもうバレていると思うので書いてしまいますが、30代前半です。歌の好みとかは相当年寄り臭いですが(何
ふうたろうの周りには、確かに、食べ物を含めた、生き方を悩んでいる人が大勢います。っていうか、みんな悩んでいるのかも知れませんが…ね?
今日も、スーパーではなく、個人がやっている米屋さんで、初めて入ったのですが、米を買いました。スーパーのような混沌としたカネの流れの中に自分の財産を投じるのではなく、できるだけ、払っている相手が判るところに投じたいと思うからです。
そういう方向に、社会が回帰していけばいいんですけどね…。