歩いてきた道、それはすべて自分のものだ(小秀山三浦山裏ルート:長野県)
気が付いたら5時前。一旦21時に目が覚めて、星を撮って、寝付けないなあと唸りながら寝袋の中を徘徊していたら(どうやって?)、いつの間にか記憶がなくなって、イヤ、夢から覚めて?朝になっていました。…朝というか、まあ、まだ夜なんだけどさ、5時前だったらね。
起きてから、ヘッドランプもない中で目の暗順応もまともに利かないのにスパゲッティ2号を茹でたら、ものの見事に麺が多すぎて、しかもナポリタンソースが少なすぎて、味のバランスはめちゃくちゃ。チーズ3枚も入れたもんだから、気分が悪くなるという。これは完璧に失敗でした。
…という大変な朝でしたが、山頂三角点そばの岩の出っ張りに出て朝日を見ていましたら…
どうも、やっぱり、薄雲が広がっていますね。太陽の出てくる方向に雲がかかってしまうと、朝焼けは絶望的。あの雲のあるあたりはどこだろうね。
7時2分、明るくなったので出発。ヘッドランプなしでは暗がりの出発は無理ですから。
昨日の夕方は景色がよかったこの場所も、何となく(Θ_Θ;)どよーんなのですよ。
向こう側の稜線まで、はっきりした道が続いている。でも、あれは結局どこまで続いてるのかは判らないのですよね。案内の標もなければ、地図にも道の表記はない。新しい地図にも。地形を見れば、何となく行けそうな気配はあるけど、ヤブなのか、裸地なのか、細かいところまでは…
薄雲の中を、ゴーストのように飛行機雲が。いつまでこの天気なんだろ、今日。
ところで、雪が意外とあります。去年の今日、至仏山に登ったときよりはありそうです。
薄雲、というには厚いような気がする、高層雲になりかけ状態。いわゆる太陽の暈(かさ)、さえもない。
鞍部からの上り返しはけっこうきつい上に、刈られた笹が散らばっていてこれもなかなか歩きにくさを増しています。それにしても、なんでこんな道を拓いたんだろ…
小秀山の北尾根(その1)に出ました。北尾根(その2)までは、ヤブが猛烈で行けそうもないので、やっぱり小秀山から見たとおり、その1から東進です。
曇り空の下の、どよーんとした小秀山。小屋も見えます。あのおっちゃんはまだ山頂にいます。今、7時半を回っています。
ここは笹原の、見晴らしのいいところだから、さわやかに歩けるはずだったんだけどなあ…
あの鉢伏山のようにさわやかに歩けたはずだけど、それとも、この道、登山道としてこなれてないから、まだ何となく浅いぬか床のような味わいになるのかな…
…こう見えて、けっこう日差しが眩しいのです。レンズに付いたゴミとかファインダ覗いただけでは見えないし。
この道を歩くのは森の動物だけ。あ、ふうたろうも今歩いているのか。
この道で、初めて人工物に出会いましたな。非常に真新しい「三浦山」という標。たぶん、読みは「みうれやま」だと思います。この場所から北に、「三浦貯水池」というのがあります。
見た目は薄くないけど、やっぱりソースが足りないスパゲッティの残りを再度食うよう試みましたが、チーズは固まってるわ、味は薄いわで、とてもとても、食えたもんじゃ…
実は、太陽の周りに、虹などの現象が見えないかどうか、気にして歩いています。石鎚山で会った兄ちゃんがコメントで残していってくれたあのページを見てから、少し気にしていたのです。今日のくもり方は、それが出る可能性のあるものですから…
しかし、やっぱりベース薄曇りってのは、どうも景色もぼんやりしていますね。もちろん、下界で残念な状態の時みたいに、意識まで朦朧とはしていないけど。
動物の足跡が残る雪ってのは、やっぱりいいものですね。早く、本格的な冬を迎えた山に登りたいですね。
ヤブの向こうに御嶽山。実は、御嶽山の眺望、よくないんだよなー、この辺りさ。
そして、今回は、実は立ち枯れも気にして歩いてみる。確かに、こんなに低い木がもう茶色くなっているんだ…
中央奥のと手前のとを比べると、樹勢が弱っているのが何となく判る?よく見ると、この三浦山(みうれやま、1953.7m)周辺の立ち枯れは結構ひどい。
道にはリボンが付いています。概ねその方向に踏み跡があり、倒木には丁寧にステップが切ってあります。雪で埋もれていなければ、迷うことはなさそうですよ。
御嶽山の山頂部分だけが辛うじて見えるけど、薄ぼんやりの空の方が目立つなあ。
一面真っ白の雪の中に、うさぎや狐の足跡が続いているのを、早く見たいものですね。
切り開かれたところに出てきました。道が不明瞭になります。しかし、徹底的にリボンが付いていて、道迷いはまずしないでしょう。
最近読んでいる本では、酸性霧というのが問題視されているようです。雨よりも木に触れている時間が多く、酸の濃度が高いらしいので、ダメージはより深刻になるとか?
歩きながらなんかおかしいなとは思っていたけど、やっぱり違う尾根に入っていますよね。あの向こうの尾根を、本当は歩きたかったんだけどなあ…
でも、それに繋がりそうな道っぽいものは見あたらなかった…
細い尾根に入りました。これは、沢が合流するところで詰んでしまいそうな予感。地図を見ると、そういう方向へ降りていますからね…
意外と渡渉も難しくない沢なので、このまま下ります。リボンもその方向に付いていますし。
ここ、左の方から流れてくる沢との合流地点です。ここから道が森の方に分かれていきます。
荒れていそうで、そうでもない。このまま白川林道に出そうですね。
ちょうどその登山口のところに夫婦がいて登山態勢にありましたが、何となく話しかけても素っ気ない感じだったので、ドライにそのまま進みます。これからの車道歩きが、ハンパなく長い。
木を切って運ぶため、切り開いているのでしょうね。林業である以上、ある程度はしょうがないか…。
しかし、この、パラパラいってる崩落地の側は、あまり通りたくないなあ。
ちょっとした水場がありました。ワンカップの瓶が置かれています。
こんなところにも登山口が。
…何々?枯木沢歩道?きっと、さっき行けなかった隣の尾根から降りてくる道、なんだろうな。
まずは王滝村滝越地区に向かいますが、この沢で半分くらい、かな…
この辺りの流れは、何となく澱んでいます。どうも、ふうたろうがまだ物心着いて間もない頃、長野県西部地震というのがあったらしく、その時の崩落で自然湖が誕生したそうです。ただ、この辺りまでもずっとそうなのかまでは…
滝越集落。思いの外、ちゃんと集落になってる…、いや、群馬県の南牧村の奥地とか、大変だったから、ああいうところを想像すると、全然元気だな、と思うのです。
しかし、気になるのはこの看板で、「国道19号まで30km」って書いてあるんですよね。そこまでは確かに歩かないけど、王滝バス停まででも相当あるから、ちょっと身震いしますなあ…
滝越から王滝へのバス便はなくなっています。自然湖などを眺めながら歩くとしようじゃないか(何
右手にある看板見ると、さっきの30kmから全然減ってないという件。これから猛烈に長い車道歩きが待っているのです。
王滝トンネルの前に、何やら3本のパイプが。水を飲んでみたけど、飲まない方がよかったかね?
王滝トンネルを越えるとさっきのよりも規模の大きな湖にやってきました。
そう、これが自然湖です。地震で崩落した土砂にせき止められ、できた湖。ひとりのアマチュアカメラマン(?)がいて、話を聞いたところ、ここは全国からカメラマンが集(つど)ってくるとか。
またもや地図にはない道が。古い25000分の1の地図にさえこの橋、無いんですけど?でも、向こうには建物もあり、行けそう…?
この辺り、水に森が沈んで、枯木が棒立ちです(そのまんまか)。
風も弱く、水面の波も穏やか。まっすぐに立った枯木がそのまま水面に映ります。
でも、非常に写真に撮りづらいですね。さっきのカメラマンも難しいと言ってましたし。
奥の方の、河原みたいなところにある枯木は、枯れた後に土砂が流れ込んだのでしょうか。
長野県西部地震は昭和59年、つまり1984年。今から27年前ですか。その時からずっとこの木たちは時間を止めたままなんだねえ…
この切り株に乗って写真撮れないものかと思ったけど、靴を滑らせてヅドンするのが関の山っぽいので、途中で諦めました。
桟橋の向こう、ずっと東方向にも道が続いているようですので、行ってみましょう。
ヌオッ(゚皿゚;)
ここでレンズのゴミに気が付いて、慌ててそれを払う。
紅葉したら、すさまじいことになるんだろうね。たぶん、「カメラマンの全国区」なら、どえらい人だろうなあ…
しかし、あの東に続いている小道、トンネルを越えると崩落した道路の上のヤブでした。ガードレールが水没しています。
そして、ここも道路だったろうに、水没しています。これでは通れませんがな…
でも、今更引き返す気にもならず、このまま木本性の蔓がもうもうと張り巡らされているヤブを突っ切ることにします。
そしたら、浅い水のよどんだようなところに出てきました。歩きづらい、なんてもんじゃないですね。ハマった、という感じですわ(滅
水域から離れて歩かないと、足が泥沼に呑み込まれかねないので、樹林帯へ逃げ込みます。蔓性の植物は若干減ったかと。
所々、水が流れているのかたまっているのか、枯れ草の下に隠れるように浅瀬が広がっています。おそるおそる足を運ぶふうたろう。
こんなヤブの奥に、何かの標柱。
何々?「愛知用水土地改良区」??
暑いと感じる割に、この辺りのたまり水はみんな氷結しています。
疲れたので、最後の食料である「たけのこの里」を食います。
余談ですが、ぜんざい用のゆで小豆の缶詰を持ってきていたのに、缶切りが無くて使えなかったというのは何かの罠です。
さ、続きを進みましょうか。ここを上がればどうやら元の車道に出るみたいだから。
昭和60年竣工って書いてあった気がする。59年に地震で崩れて、突貫工事、だったんでしょうか。
あのヤブを無理やり突っ切っても、この川にぶち当たったんでしょうなー。渡れねーべ。
その昔、走っていた路線バスは、もう今はない。錆びて朽ち果てていくバス停の立て札。
ん?(・ε・*)
おお、これ、石鎚山で出会った彼が教えてくれたあの太陽の宴じゃないですか!でも、これ一個じゃなー(`ε´)
この水面に、あの横の羽みたいな虹が映ってたけど、カメラじゃ撮り切れませんって。
あの巨大な橋、まさか上に登って渡んのかな、と思っていたら、電線か何かの管理用のものらしく、実際はあの橋の下を道路が横切ります。
この辺り、何でか知らないけど、やたらとテトラポッドが散らばっています。まあ、遠目に見たらそんなに景観は崩れて…なくもないか(滅
この道路の端っこにあった小高いところに登ってみたら、川の方の崖が思い切り崩落していますがな。しかも、どうもこの道路の下が大きくえぐれているようにも、さっき、見えましたよ?
なんか、これは淵がきれいすぎるでしょ。もっと近寄りたいね。時間が押し迫ってるくせに何だけど。
うん、ここならいいかな。淵が青くて、いいですね。王滝川、見てて飽きませんね。車道歩きがそれほどツラくなりませんわ。
トンネルを抜けるとゴルジュだった(笑
でも、手前に一本ワイヤーが走っていて台無しであるという罠。
ちょっと前、静岡ナンバーの車が若干低速でふうたろうの横を過ぎ去っていきましたが、この辺でいきなりバックしてきました。まさかとは思ったけど、ありがたいお言葉を。
「どこまで行くの?乗ってく?」
嬉しいなあ。実はね、今日は二人目なんだ。さっきのテトラポッドの淵のところでも、ご夫婦が声をかけてくださった。
でも、ふうたろう、今日はこの道を歩き通します。気持だけいただいて、少し話をして、お別れしました。ほんとにありがとうございます。
しかし、そろそろふうたろうの集中力が切れてきました。9時49分くらいに下山口に着いてから、もうかれこれ4時間歩いてきました。車通りが少ないから楽だったけど、多かったら大変なことでしたね。
でも、もう少し、もう少しだから。
ところで、ふうたろうがながめているこの運動公園は、ヤケに盛り土だねえ。あの下には何かがあるのかなあ(棒読み)
何だか、王滝村役場が20kmとか書いてありますね、この不届きな看板。俺、だいぶ必死こいて歩いてきたのに、あの30kmの看板見たところから、10kmしか歩いてないの?
ところで、田舎道の道路に併走して太い道路が通っていますな。何を狙ってるんだろうね。
そして、バス停到着。よー歩きました。平日の運動不足が解消されましたね。
これが王滝と木曽福島を結ぶバスです。ふうたろうに欠かせない、バス。
帰りは、自分の登頂ボイスなどに激励の気持を送ってくれたみんなに若干ウルっとしました。
木曽福島駅に戻ってきたら、メシ屋を探します。駅前に食堂があったので、
何だか夫婦げんかっぽいことを始めていたような食堂に入ります。
天丼にしっかりありつくまでにかなり待ちました。親父っさん若干対応悪そうだし。
食べ終わったら、けっこうそそくさと外に出ましたね。土産物も、ハイパーキノドクスーベニア類が多くて、蕎麦にいたっては、プロピレングリコールづくしだったりしましたからね…。結局アイスクリームひとつ買って食ったくらいでしたわ…、120円の。
31km、歩ききったようです。車道合計20km前後とか、鬼畜でしたが、歩き通しました。でも、下りの車道は景色がよく、ほんとに飽きませんでした。
とはいえ、この長い車道歩き、途中でヒッチハイクで諦めることもできたし、タクシーを呼ぶことも恐らくできたと思っている。でも、歩いていなければ、あの自然湖も青い淵も、見つかることさえなかったはず。歩いたから、あのヤブだって味わえた。道は、自分の足で歩いてこそ、それが自分のものになるのだろう。
#157小秀山クリア。
天気:くもり(岐阜県恵那郡加子母村・長野県木曽郡王滝村・木曽福島町、移動中は含まない)
縁あって本ページ読了、御苦労さまでした&有難う(御嶽信仰検索→三浦山からの眺め→本ページ→31k林道走破への感情移入で私もどっと疲れ)当方・愛知住人・63歳
こんにちは。
>感情移入で私もどっと疲れ
ふうたろうの日記を読んでいると、良くも悪くも自分が歩いているように感じる人がいるらしいです。
この日の車道歩きは特別長い方でしたから、疲れたでしょうね、本当にお疲れ様でした。
御嶽山自体はもう6年(今このコメントを書いている2012年から)前に登ったきりです。職場の人にも信仰なのかどうか判りませんが、登ったとか言っていた記憶がありますが、ふうたろうは特にそう言うの抜きで、あの頃は本当にのらりくらり歩いていました。