思い出の扉を開きにいく(蒲江石槌山【米水津宮野浦~畑野浦】:大分県)
(=皿=)
天気予報がどんどん悪い方向に流れる。昨日も今日も、晴れマークが次々消えてゆく。昨日はそれでも奇跡の晴天だったけど、今日もそれが続くとは思えぬ…(じと目
でも、佐伯まで来て、6000円もする高級ビジネスホテルに泊まったんだから(本音)、行かねばもったいない。大入島辺りでうろうろとかマジ涙目だから(涙目
というわけで、佐伯駅前のバス停で6時35分発の、旧・米水津村(よのうづむら)の宮野浦行きに乗ります。っていうか、6時35分、朝飯食うのも大変ですよ、昨日までのスケジュールのあとだと(滅滅滅
バスはふうたろう一人の貸し切りでした。運転手といつものように話をして、下りるバス停がはっきりしないので地図で確かめながら、色宮小学校入口バス停で下車。
なお、宮野浦に行く前に小浦に寄っていくので、時間が若干かかります。
8時35分のバスで来ても良かったかなとも思いますが、早立ち早着きは山の基本ですから(`・ω・´)キリッ
地図通り、できるだけ細い線の道を辿って行きましょう。
路地を通ります。たぶん、住民に見つかったら、変質者扱いかも知れません(ぇ
恐らく、今日登る蒲江石槌山に登るのにこんなところから歩く人はまずいないでしょうから…
しかし、どぶ川のはずの水が、ふつうに澄んでいます。ああ悲しいなあ(棒読み
この、蒲江や米水津付近はリアス式海岸で、海抜も低い。津波が来たらひとたまりもありませんから、警戒は怠らないようにしているのでしょう。それでも、3年前の大震災のような、想像を絶するものが来たら、もう、敵わないのでしょうけども…
そんな集落の細道の奥に、ヤヴへ連なる(ふつうなら行き止まりと言うが)ところがあります。
沢の左岸を進んだら、支流で詰んでしまいました(滅
っていうか、行き止まりの時点でふつうは詰んでいるという話もあるが。
何これストーブ?
ストーブ以外に、テレビのブラウン管だけ3個も投棄されていました。
不法投棄を減らすには、購入時に廃棄料を含めた金額を支払い、廃棄するときは無料にすればいいと思います。不法投棄するメリットをゼロにすればいいのですから。まあ、それは家電リサイクル法ができたときに、かなり問題になりましたけどね…
でも、どう考えても廃道です。ウスグラいじゃなくて、漆黒の闇って感じだし。
ほら赤いリボンも応援してくれているではありませんか(黒ハート
まあ、判っていたことですが、この道はとりあえず通れないと思う方向で夜露死苦(真顔
たぶん、このウスヨゴレたウスギタナいトイレ案内板の横にある階段を進めば行けるのだろう。
…と思ったら思い切り造成地の下に道が埋もれていたという件について。道なき子とはふうたろうのことです(真顔
気合い入らず、頭がボーッとする。
とりあえず、空の公園から蒲江石槌山。
今は、小泉強制合併政策のためになくなった蒲江町の、一村一品の標識だけ残った状態。
この辺りまで来て、やっとこのリアス式海岸の風景を楽しめるようになってきました。
やたらと構造物が多い。いつこんなもん作ったのか。都会からわざわざこういうところまで来る人は、こういうものを見たくて来るんじゃないと思うんだけど。青森県今別町の山中で会ったおっちゃんも同じこと言ってたけどさ。
元越山への指導標の横に、ハイパーボロボロ状態の石槌山の指導標。…これでかつる(勝てる)!
今回は蒲江石槌山の登山、ということになっていますが、目的の中心はそこではありません。でも、山を絡めることがふうたろうの旅の掟です。
電波塔のところからあとになると、道が細くなります。ここから山道ですね。
元越山への指導標はありますが、石槌山はない。まあ、極めてありふれたことでありますが(じと目
熱帯の植物相ですな。天城山(静岡県)を歩いている時を思い出します。
そこにある集落は今回の出発点にほど近い宮野浦集落(米水津村)です。
ところで、さっき、どさくさに紛れて小雨がぱらついていたのですが、晴れ間が本格的に出てきました。
いつものふうたろうならこのまま元越山に縦走と洒落込むところですが、今日の山頂はこの石槌山では、ない。
石槌山の山頂からの唯一の展望です。そして、あの集落こそ、今回の"山頂"です。あの集落は、ふうたろうの未成年人生の中でもっとも秘境を経験した場所です。従姉妹たちと過ごした、最高の場所なのです。
山頂で30分ほど休んで、いよいよ出発です。ここからが本番ですな!
ここが通れないと、尾浦に行くのはかなり遠回りすることになります。
なんか、あの下り坂の奥、崖になっているように見えるのは俺だけか?(真顔
崖を石ころのように転がっていくのはごめんなので、とりあえずまともに下れそうなところ(そんなのがあるのかどうかは知らないが)を探して水平移動します。
植林地帯に出てきました。ということは、この辺りまでは人が入ってきていることになりますね。何とか下りることはできるでしょう。
しかし、予定にはない沢筋に至りました。ふうたろうの予定では尾根を下り続けるはずなんだけど?
それもそのはず、この地図も通ったものを正確に記述しているわけではありませんが、山頂から直に下ってしまったので、下りるべき尾根に当たらなかったのですね。しかし、それに気がついたのは少し後のことです。
どうも、この上の尾根が、本来下ってくるはずのところだったと思われ(遠い目
ふうたろうは昨日にも勝るデラックスゾーンを歩いています。ああタノシいなあ(棒読み
しかし、この沢下りは安全です。しかも、小さな滝がけっこうきれいです。ま、さしずめ不幸中の幸いというか。
また、東日本では見たことのない花が。
トウワタ(キョウチクトウ科)だそうです。寒さに弱い、とのこと。
クモの巣にまみれながら下ってきた迷いの森も、ようやく終わりました。ああ疲れた(黒いため息
でも、尾浦集落に至るには、まだ少しばかりクモの巣とヤヴに耐えねばなりません。
実は、この道、当時(20~25年くらい前)一度探検したことがあります。少なくとも、さっきの道路までは上がった記憶があります。ただし、当時はその道路もまだ完成していなかったので、通行止めでした。
集落の裏に出てきました。いよいよ、ふうたろうの記憶の扉が、14年ぶりに開かれます。
…。
まあ、ふうたろう、ここ数年で色んな場所を歩いてきたので、ここが最強の秘境、というわけではなくなっていますね(苦笑
でも、あの少年にとっては、この蒲江町尾浦は、間違いなく人生最高の時空間を提供してくれたのです。
覚えていますとも、ここも。ふうたろうはこの景色を見るために、ここまで来たのです。思い出の扉を開きたかったのです。
当時も今も変わらず、ここは漁村です。観光地と呼べるものはひとつもありません。でも、ふうたろうの中では最高の世界。その価値観は今も昔も変わりません。
あるだけで素晴らしい。磨けば輝くものと、磨けば傷が付くだけのものとがこの世にあるとすれば、ここは後者だと、ふうたろうは思います。
ふうたろうは波止場に来て座り込みました。ここでよく釣りをしたものです。ベラやオヤビッチャ(?)とかクロソイなどをよく釣っていましたっけ。
この辺でも遊んだ気はしますが、よく泳いだのはもっと西の方の浜です。
お魚さんはいいとして、磯を駆け上がるときに自分で自分の手を踏んでケガしました(ぶらっくハート
ふうたろうはここ数年で色んな場所を見てきて素晴らしいと何度も思ってきたけど、この場所のすばらしさは揺るぎません。
ところが、この場所にバスで来るのはほぼ不可能。1日に1便しかバスが来ません(しかも平日のみ)ので、片道切符です。米水津村の宮野浦からか、畑野浦からか、歩いてくるしかありませんね。
今はこの道路を上がった直ぐ上に、畑野浦方面に抜けるトンネルがガツーンと建設され、尾浦のアクセスは格段によくなったのです。でも、ふうたろうがここを桃源郷として神格化(何)していた頃は、この道路は完成しておらず、直ぐそこで通行止めになっていました。
ふうたろうは、この開発に関しては異議を唱えません。それは、これから理由がわかるからです。
…ここは公園だったね。盆踊り、祭をやっていた場所だったかな。ここで、従姉妹のひとりの目の中にロケット花火が飛んできて大騒ぎしたことがありました。幸い、ケガなどもありませんでしたが。
あの時は携帯電話なんてものはありませんでした。14年前に来たときも携帯の電波は不安定でした。でも、今はスマートホンの3G回線がちゃんと入ります。これも時代の流れですね。
でも、それ以上の発展はもう要らないかな…。人間、怠惰になるだけだと思うんだ。新たな利益は生むかも知れない、けどね?
この尾浦小学校はまだ子どもがいるのかな。のびのびした雰囲気のいい場所なんだけどね。そして、大阪や東京と同じレベルの義務教育を受ける。たとえ1学年2人とかでも、担任ひとり雇ってもいいと思うのですよ、ふうたろうは。
道州制を見込んだ平成の大合併(そう聞いたことがある)、それで本当に国益を考えるなら、教育の底上げは欠かさないでもらいたい。スリム化、というのはケチになることではないでしょう?
子どもの目にも判るゴミの多さ。恥を知れ。山や海に散っているゴミだけではない。戦争の脅威も、食の安全も、地域のコミュニティ崩壊も、みんな子どもたちの未来に回す気か。
とはいえ、これほど政治選択の難しい現状はない。政治と政治家に対する信頼は地に落ちているのだから。信じるべき政治家を信じず、信じてはいけない政治家を信じてしまう。小泉政権や民主党政権はまさにそう思う。安倍政権は継続中なのであえて言わない。
さて、ふうたろうは尾浦の集落を出て、畑野浦に向かいます。その昔、夏の夜道を畑野浦から尾浦へ向かって歩きかけたところを、大人に助けてもらったことがあります。あれはどこまで歩いたんだろう。
クルマは止められています。恐らく、あのトンネルが出来て以降、崩壊しても修復されることなく過ぎ去っているのでしょう。
落石が多発しています。去年、御在所岳(三重県)に登るときに使った神崎川への林道を思い出します。でもまだあの林道は機能していましたか。
尾浦の入り江周辺より水が澄んでいます。ここをPLフィルタ使って撮ってみたらまた変わった写真になるのかも知れませんが、着脱がめんどくさいのでやめました(←こら
昔は尾浦に向かう唯一の道でした。もう少し見通しがよかったと思います。
もはや車は通れません。自転車ならオフロードで。
一帯をヤマブドウ(ブドウ科)のようなつる性の木が大繁茂しています。
ヌオッ(゚皿゚;)
道が斜面の縁まで崩れ落ちておるではないか(白目
ヤマブドウ(?)でウボァー(゚Д゚)して何とか通り抜けた大崩壊ゾーンでしたが、この先もないとは限らない。いや、ひどい(真顔
ヌオッ(゚Д゚;)
これは沢じゃないか?ここ、ちゃんとした道路だった…よね?
たった10年、人が手を入れないだけで、道路はこうも野生化してしまうのか。
なお、ここでカメラの調子が悪くなって右往左往していました。いや、何が悪かったかって、ただ電池が切れていただけでした(滅滅滅
あくまでも自然はエントロピーの赴くがままに。でも、そのエントロピー最大コースを人は忠実には歩めない。人工物を好きになれないところは、そのわざとらしさです。
さっきの崩落箇所は、この道の中でももっとも深い谷です。そして、その谷の先には広い砂浜が広がっています。無人の浜には鳥が無数にいました。
これもよく見かけるような気がしなくもないですが、何の実だろうなあ…調べてみたらタラノキの実に似ていたけど、季節はどう考えても違うし、棘もないし…
落葉の上に轍(?)が出てきました。
ここを歩いてくれば、トンネルの方がいい、と思うのも当然ですね。崩落の危険も通行止めによる集落の孤立の心配もずっと減るのであれば。
この道は、このまま自然に還ってゆくのがよいのでしょう…。
土砂崩れが頻発する道路なんて、確かに危険です。建築技術も上がったなら、トンネルに方向転換するのもいいのでしょうね。でも、やっぱり寂しいという気持ちは変わらないかな。
落石が多い、との看板。もう、昔の話ですね。あの看板も、きっと自然に還っていくのでしょうね。
ま、色んなことに思いをはせながら、道を通り抜けてきました。「通行止め」でね(真顔
このトタン板で囲まれた建物は、機能していない?いや、どうなんだろう。
ここは何を養殖していたのでしょう。ここより少し集落の方に進んだところにはヒラメの養殖場がありましたが…
江武戸神社。何と読むのかは判りません。誰が、いつ、来るんだろうとか思ったりします。
海に向かって参道が続いています。この辺の意味、ふうたろうは知りません。解る人に任せます(←こら
…ここも、三陸海岸のようなリアス式海岸。風光明媚なところですが、津波が来ると波が一気に高くなって…
集落に近い海の水は決してきれいとは言えませんが、心は落ち着くものです。
あの日は歩いて抜けられなかった畑野浦~尾浦の道、今こそリベンジ達成です(どや顔
B&G海洋センター?
そういえば、従姉妹の中の三女が、よくここに来たいと言っていましたっけ。プールがあったような気がしますが、目の前にこれだけ海があるのに、今さらプールとか…と、何となく子供心に思ったような気もしなくもない。
ん?(・ε・;)
ふうたろう、突然黒いクルマで走っているおばちゃんに呼び止められ、半ば押しつけられるように心太(ところてん)と何かの飲み物を差し出されました。このあずまやは畑野浦の公園の一角にありますが、先に女の子ふたりが遊んでいたのに、その横でこの「何かの飲み物」を口にしているときにコーラを飲むと染色体異常が出てくるとかの勤行が始まって、一気にテンションアゲサゲさせられました。
心太は何の味付けかと思ったらポン酢だったようです。しかし、ふうたろう、ポン酢味は好きではありません。押しが強すぎてNoと言えなかった…(滅滅滅
いったい、何の飲み物を飲まされたのでしょうね。ま、あとで実物を見せます。それよりも今は、護岸されてもなお澄んだ水の流れる沢でも楽しもうではありませんか。
ただ山に登るだけなら、たぶんふうたろうはここまで写真撮ってブログにすることはないでしょう。山に登ることも含めた、一日の生き方を残したいのだと思います、たぶん。
この集落にはいくつかバス停がありますが、この「畑の浦」がいちばん日影の多い場所だと思ったので、ここでバスを待つことにします。やれやれ、着いたぜ…
この漁港の雰囲気、たまりませんね(目がハート
彼方に見える集落、尾浦かと思いきや、違います。西野浦集落だと思われます。もちろん、行ったことはありません。
川の中にまで船が。フジツボのあるところまでは潮が満ちるので、そのときに出帆(?)するのかな。
ナツズイセン(ヒガンバナ科)かと思いましたが、若干違うようです。
この山の向こうが尾浦集落です。さっきの西野浦を尾浦と間違うほど入り組んでややこしいこの一帯。やはり、持つべきものは地図です(何
佐伯駅行きバスの発車が16時20分なので、散歩しています。農村も好きですが、漁村はまた違う良さがありますね。
漁を終え、船を舫(もや)っているおっちゃんに挨拶して、立ち去ります。
漁協の建物。そういえば、農協は叩かれまくっているけど、漁協はどうなんだろうと、ふと思ったりしました。
ここ、22世紀になったら、いったいどうなっているんだろう。まだ昭和の香りを漂わせながら、生き続けるのかな。ふうたろうはもちろん、それを見届けることは出来ないでしょうけど。
さて、何かの飲み物を披露しましょうか(真顔
アルファルファ(マメ科)という牧草のエキスを使った飲み物らしく、30年前くらいからあるとかなんとか。ちょうどコカコーラが流行り始めたとかいってましたっけ?それで、(恐らくカラメル色素による)染色体異常なんて話が出てきたのだと思います。
染色体異常はさておいて、牛のエサのエキスなんぞ飲ますな(笑
でも、味そのものは意外とうまかったかも…(汗
しかし、勤行の割に色々入っているなぁ。
L-アルギニンはアミノ酸。ふうたろうは必須アミノ酸という記憶をしてはいませんが、必須アミノ酸であるという資料もあります。
グリセロリン酸カルシウムは、初めて目にする単語ですが、カルシウムとリン酸の補給のための添加物らしく、それ以外に使うことは出来ず、全カルシウム量の1%以下でなければならないそうです(薬科学辞典 廣川書店)。グリセロリン酸自体は特段毒物であるとは考えられません。
リン酸二水素カリウムはふつうのリン酸塩。たぶん、リンを補うための添加物でしょう。
ニコチン酸アミドは、エネルギーを作り出すなど、必要なビタミンです。
ところで、勤行の割には甘味料にステビアを使っています。天然の甘味料ですが、主成分ステビオシドは、1999年、EUで添加物としての認可が下りなかった歴史があります。理由は、代謝物ステビオールに遺伝毒性・発生毒性がある、など(しんぶん赤旗 1999年11月11日付)。ただし、2011年に認可が下りたらしい。このアルファルファジュースに、いつからステビアが使われているのかは知りません。
っていうか、何の日記じゃ(じと目
上の項目だけやたら時間かかったし(滅
で、そこの看板(笑
トレハロースはグルコースふたつが結合した化合物です。
ハラ減りましたので、メシ食いに行きましょう。
なお、さっきのトレハロースから佐伯駅前です。
しかし、この辺にはラーメンとかうどんそばとか飲み屋とか、そんなのしかない。Joyfullがあったのでしぶしぶ入ったら肉料理ばかりで、何も注文せず出てきました。
行き着いたのが地元の寿司屋。3090円したけど、これがもっともまともな食事です。なお、マスターたちとの会話は欠かしていません(`・ω・´)キリッ
こうして、最後の山行が終わりました。最高の思い出を蘇らせる山行。テンションを下げる(略)、タノシかったなあ(棒読み
これから先、休みが終わるまで天気が悪く、かつ、山に登る時間を取れそうにありません。
とりあえず、再び大分市に向かい、そこでできるだけ日記を進めたいと思います(結局13日付の日記が18日になってやっと終わったのですが)。
明日以降は退屈な日記になりますが、ふうたろうにとっては休養の日々です。
天気:くもり、昼前から夕方晴れ、朝のうち小雨ぱらつく(大分県佐伯市・南海部郡米水津村・蒲江町・大分市、日豊本線)
昨年のGWに元越山~石槌山のチャリデポ縦走しましたが、新緑とリアス式海岸の景色は素晴らしかったですね。
ただ、天空回廊は伐採したところが展望が開けているだけで、おまけに林道が多くて、完全に名前負けしていました。それでも、尾根だけ自然林を残してあるのが、すごく印象的で、先人の工夫なんだろうなと感心してました。
その道、まだ行ってないので何とも言えませんが、いつか行こうとは思っています。できれば、もう少し天気の良いときに行きたいなと思いますね。
そして、この山域というか海岸は、山を歩くよりも海のそばを歩く方が、実際楽しいと思いました。伊豆半島や房総半島を歩いているときと若干似ている気がします。