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狭くも広くもふうたろうの輪

2012年 1月 8日

 昨日寝たのもそんなに早くはないので、今朝起きたのも7時前後でした。山は諦めて、両親と一緒に過ごすことに決めたのですが、ただダラダラしているだけだとつまらないので、父方の実家の墓参りにでも行こうと、そういうことにしました。しかし、まずは腹ごしらえというか。うなぎを甘辛醤油で温め直す(鍋で煮る)という食べ方を、もう何十年ぶりかにやっています。


 今日は月一度の掃除当番の日、らしい。母親はそれに行くと言うので、ふうたろうも、行ってみようと。ひょっとしたら、旧来、ふうたろうを知っている人にも出会えるかも?


 落ち葉の量がすごい冬の南港。袋がいくつあっても足りない。
 それにしても、ふうたろうのことを知っている、覚えている人が、何と多いこと。今更思うのだけども、当時のふうたろうボーイは、本当に人から愛されているとか、見守られているとかいう感性を持っていなかったのだと思う。今になって、東京だの茨城だので、色んな人に支えられーの、なんてこと言っているけども、それは、まっとうな生活をし、活動をしていれば、自ずと出来上がっていくものなのかも知れない。
 念のため、ここはふうたろうが忌み嫌っている(土地を)大阪南港だぞ?そこで起こっていることだ。


 そういえば、この大阪南港の住宅密集地も、樹木が随分まばらになったと思ってはいた。おそらく、犯罪対策なんだろうなと思っていたら、やはりその通りだった。犯罪が昔より増えているのか、というのは実際のところ不勉強で知らないけども、対策を講じないとだめなことは事実。しかし、それが木を切ることで良いのかどうかは別。ふうたろうが遊んでいたあの頃は、かくれんぼくらいできるところもあったと思うが、これではそれも能わず…。


 そうだった、畑をやっていたんだっけ。ふうたろうは小さい頃、正確には小学校3年頃に、生き物(主に植物)の栽培に目覚め(何)、ベランダでジャガイモだのニンニクだの、山椒だの給食で出た蜜柑の種だのを植えていた。それがエスカレートして畑まで借りて、ゴボウだの何だの植えようとしたんだっけ。懐かしいね…。ふうたろうのあの頃の血は、成分を変えても受け継がれているのだね。


 この、大阪南港は、本当に箱庭みたいなところです。ここを出て随分長いので忘れていますが、当時長いと思っていた道のりは、100mほども無かった。子どもゆえに遠く感じていたのか、それとも、外の世界を知らない無知なふうたろうボーイだったのか…。


 この近隣公園も、随分土が削れたような気がする。小さい頃、この公園では殆ど遊ばなかった。川(人工)とか草むらが好きなふうたろうボーイだった…


 やっと墓参りに行けます。着いたのは13時頃でしたか。この辺りも自然が多くて、ふうたろうにとっては憧れの地。兵庫県三田市。栗拾い、タケノコ掘り、大地そのものが大好きだったふうたろうボーイ。


 でも、ふうたろうボーイがはしゃぎ回っていた、雨でも散歩することを厭わなかった、あの場所は…どうなっているだろう。


 この神社、覚えています、確かに、覚えています。


 神社の境内がどういう造りだったかまでは覚えていないけど、岩に生えている苔や、思わぬところに生えていたキノコ、楽しかった思い出のある地です。


 しかし、その地は…
 昨日通ってきた瀬戸大橋の下も同じ道を辿ったのかな?
 ふうたろうが単なる懐古趣味なだけなのかな?何か違う気がする。ここは元は田んぼや畑だったはず。農業で食っていけないような政策、輸入品が異常に安く、しかもそれだって他国が経済発展していなかったり、土地から"収奪"したりすることが前提であるはずなのに、そんな政策で追いやられた農業によって、農地の、こういう住宅地への転換が進んだのでは…?
 …違う、こんなのは豊かだとは、ふうたろうは認めない。


 初詣をしていません。この神社で、やっていきましょう。って言うか、もう終わったのか(笑
 母親が、お守りが欲しいとか言っていたので、ふうたろうもお守りを見てみました。
 ふ:「山での安全を願うお守りとかないのかなあ(棒読み)」
 若い巫女たち「(笑)×2 う~ん…これなんか、どうかな?」
 …などと、イイ感じに対応してくれる巫女さんたちに感謝(黒笑


 好感を持てたので、ひとつ、買っていきました。
 (・ε・)え?それが作戦ではないのか?
 …(脂汗)
 なお、このお守りは早速携帯のストラップとして取り付けられましたが、夕方には早速切れてしまうことになります。ああふうたろうは短命に終わるんだなあ(棒読み)


 次に向かったのは、最近両親が足繁く通っているという産直。何?親戚のやっているところだって?ああ、あの…!
 …そういえば、大分の祖母ちゃんが、卵を毎日2個も食いまくっているという噂を聞きましたな。叔父がそういう食い過ぎに対して、嫌味を放っていましたっけ(黒笑


 大きな売り場ではないので、それほどたくさんのものは置いていません。メインは、ビッグな養鶏場であるが故の、卵です。このかりんとうには、原材料その他のラベルが何も貼られていないけど、どんな味がすんだろうなあとか思いつつ。


 これは、地元の農家たちが持ってきたもの、と言っていたかな。小さくても、ふうたろうは、自分の身内にさえもこういうことをやっている人がいることが、涙が出るほど嬉しいのです。


 そして、これが、ハイパーたまご!(何
 常連客がたくさんいて、この20個入りとかを5パックとか買っていく強者がいます。ふうたろうはそんな勇者ではないので、いつも、スーパーで10個入りを買うのさえ躊躇するという件。


 しかし、そんな不届き者ふうたろうに、店の主である伯母がこれを持たせてくれました。
 ふうたろうは、物を作ることが大変なことは、容易に想像ができます。だって、農家の人を、それこそ、少しではあっても、見てきたんですもの。だから、それをただでもらうことには、とても抵抗があります。対価はせめて受け取ってほしい。それは決して礼じゃないから!
 でも、伯母は、そこまで思っているのであればなおさらと、持たせてくれたのですな。
(ノ_<。)
 じゃ、たまごかけご飯にするのでということで、さっきから気になっていたたまごかけご飯のタレ、「おたまはん」(吉田ふるさと村 製)を、関西・関東それぞれのバージョン一本ずつを買っていきました。


 ん?(・ε・)
 バウムクーヘン。この量で200円は随分するとは思うけど、ここのたまごを使っているんだって!ならば、ひとつ、土産話に食べていこう(`∀´)
 伯母:「あ、どうぞ、食べていき。」
 ふ:「え?はい。200円ね。」
 伯母:「いいから、食べて。」
 ふ:「(((゜Д゜;)))ガクブル」
 ああ、美味かったですよ。昨日のあの家族経営でやっていた魚屋で買った海鮮丼が、栄養価や味の次元軸に、もう一つの次元軸を加えた美味さを持っていたのと同様に、ね。
 …味そのものは、しっとりした感じの、今までに味わったことのないものでした。これはこれで、美味いですよ、純粋に。
 それから、伯母には娘さん(3人姉妹・兄弟の)がいて、Yさんといいます。彼女は、ふうたろうのことは殆ど覚えていなかったかな。ふうたろうも、殆ど覚えていないもん。あれはふうたろうが中学校3年の頃だったので、もう17年も前ですから…。
 でも、ふうたろうはこの旅で、山エネルギー大開放中です。そりゃ、すぐに仲良くなれますよ(黒笑 農家に関わっているんだから、話に共通点もあるし、ふうたろうの引き出しも、あの15歳のふうたろうボーイより、増えたもん。


 この後、伯母とYさんが、茶をシバきに連れて行ってくれました。そのお店もまた、ここのたまごを使っているんだって!
 ふうたろうがこのケーキセットを写真に撮ろうとカメラを出したら、メニューを運んできてくれた女性が、「うおっ、すごいカメラ…(苦笑)」的な反応を残して戻っていきました。やっぱりここの常連客なんだねー、伯母たち。


 ふうたろうはこのシュークリームをシバきます。生産と販売に関わっている人が目の前にいるそのたまごがここにも使われていることにで、一本、やはり豊かさの次元軸が増えます。食べ物に対する思い入れという、立派な精神的豊かさの、次元軸が。


 母を含め、ふうたろうと親父以外は3人女子トーク。ふうたろうは女子トークには混ざれますから(`・ω・´)キリッとても明るい時間を過ごせました。そして、今日という日が、終わりに近づこうとしています。ふうたろうの旅も、今日が最後ですね…。


 夜、久しぶりにふうたろうの家族4人が揃いました。兄の顔を見るのはもう10年ぶりくらいじゃなかろうかと思いますが、そんなに久しぶりに、という感覚もなく。ふうたろうは、もはや誰でも、山エネルギー大開放状態が続いているようですから。しかし、これは同時にみんなとの別れの儀式でもあります。この後、ふうたろうは23時発の夜行バスで池袋に帰るのです。
 長い旅路でした。山3個、母方父方の親戚巡りと実家の直系家族3件、数知れない多くの人との会話。ふうたろう、この試合は、完全試合だなと思います。いくつか登れない山はあったけど、それがどうしたかと。無理に登っていれば、犠牲になっていたものがあったということですから。
 長く、険しく、温かく、時には冷たく輝かしい、旅。今年は、これを契機に、いい年になるといいのですが。
 #248日向国見岳クリア。
 #249三本杭クリア。
 #250南予篠山クリア。


天気:晴れ時々くもり(大阪府大阪市住之江区・兵庫県三田市・神戸市北区、移動中は含まない)

  1. みゃーみ
    2月 1st, 2012 at 13:07 | #1

    うーん。盛りだくさんのいい旅でしたね!私も実家にはよく行くけど、なつかしい周辺を歩いてみてないから今度やってみようかな。幼稚園はなくなっちゃったけど(涙
    刑務所の塀の横の道とか、長くて塀が高く感じたけどちがうんだろうね~

  2. ふうたろう
    2月 1st, 2012 at 22:43 | #2

     かつての自分がここで何を思っていたのか、ふうたろうってけっこう覚えているんですよ。煉瓦やベンチのプラスチックなんかが老朽化している以外変わっているところなんてないし。なので、その当時と重ね合わせていろいろ考えてしまうんですよね。

     ふうたろうがかつて魚釣りをしたところなんかは、大型開発に呑まれてしまいましたね…。

     

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