科学(化学)は人殺しの道具じゃない
2005年11月4日
つい何日か前、高校1年生の人が、化学物質・酢酸タリウムを母親に盛っていたというニュースが流れました。まず、科学を道具に人の役に立つ仕事をしようとしている人にとっては、とても残念です。その子は与えた化学物質が毒であることを知っていましたから、その行為自体、社会的には絶対許されません。
でも、ニュースを聞いていても、行動の異常さや残忍さなどだけがクローズアップされているようで腑に落ちません。化学が得意だとか、イギリスだかどっかの殺人鬼を尊敬しているとか、そんなのばっかりです。(11月2日までのニュース)
大事なのは、高校生の化学好きかどうか、ではなく、その子が持っている不安や深い悩み、孤独感、閉塞感、そして、それを作ったのは何(誰)か、です。…これからその高校1年生はどうなるんだろう。再び社会に出てくるときは、その化学好きを誰かのために使えるようになってほしい。
僕も化学や生物は好きで、小さい頃から顕微鏡を触ったり、図鑑を解りもしないのに眺めていたりしました。今も、その関係の職業に就いています。とても恵まれていますね。今日も、職場の大先輩に、ガスクロマトグラフという分析機器の使い方を教えていただいて、化学物質(毒も含めて)や科学計測機器たちに遊ばれていました。データの紙が、気付かないうちにだーーーっと出てきていたり…。技術も知識も一朝一夕には付きません。(写真はキャピラリーカラムとマイクロシリンジという器具です)
誰もが知識や経験を積みかさねて成長でき、社会の一員として生きられるような社会は、理想ですかね。「理想だよ」と思ってたら、いつまでもそんな社会にはならんけどね…。
天気:快晴(東京23区西部)
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