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心配―むかしの恋愛を通じて

2006年6月6日

 時には昔の話をしようかと思います。今日は職場は忙しかったのですが、それはさておき。
 2001年、ある人と付き合っていた頃の話です。今思えば未熟なつきあいでした。

 当時、彼女はとても活動的な女性でした。週4回、時給900円で東京のパン屋さんで朝6時から12時までバイトをし、その後学校に行き、さまざまな活動にいそしんで、夜の帰りは23時くらいになることもざらでした。朝6時にバイトをするには4時半には起きておかなくてはならず、始発近い電車で、冬も夏も、がんばっていました。
 朝早く、夜遅い生活。体のことも、暗い中女性1人で歩くことの危険も常につきまといます。彼女自身も時々辛くなることがあるらしく、たまにバイトに行けなかったり、活動で振るわなかったりしたとき、すごく気落ちをしたものでした。僕も、ストレスや過度な負荷が、女性の健康には特に強く影響すると考えており、気が気でなりませんでした。毎日、夜、メールや電話で、「今帰ったよ。」などを知ると、あたかも僕の方が「今日一日生き延びた」かのような感覚でおりました。
 一方、当時僕は学生。研究室で実験をする立場でありながら研究テーマがいつまで経っても決められず、実験がまともにできませんでした。今ほど人とのコミュニケーション力もなく、自分のことも全く解らず、自己否定感はそれこそ親不知にこびり付いた歯石のように強固でした。そんな僕は、彼女の「過酷」な毎日を見て、彼女を失ってしまうことの不安から、彼女のことを「心配」したものです。だからこそ、メールや電話は「生きている証拠」みたいなもので、安心できたのでしょうね。
 ある日、彼女は「肺が痛い」とメール。その時、仲間と集まって話をしていたにもかかわらず、全く話を聞けませんでした。あの焦りようは尋常ではありませんでした。他にも、電話が繋がらないときなんか、パニックを起こしたものです。

 しかし、いつしかそれは彼女のことを本気で心配しているのではないと思うようになりました。当時の彼女もこう言います。「ふうちゃん自分のことしか考えてないよ。」
 それはその通りです。僕が当時していたのは恋愛ではありません。「依存」あるいは「共依存」です。彼女の活動的なこと、彼女がいなくなること、それが(共)依存の対象を失わせるものだったならば、当時の僕がパニックになるのは当たり前なのです。「依存」によって自分の存在が認められているような錯覚に陥っていたのです。
 …当時彼女は思ったことでしょう。いや、僕に何度も言っていたかもしれません。「疲れる」と。当然です。本当に辛いのは彼女本人。でも、僕は彼女を「心配」するあまり、彼女はその僕の「心配」を取り除く努力まで余計にしなければなりません。それは二重苦以外の何物でもありません。しかも自分のことに身が入らず自信をなくす僕を励ます、というオプション付き。

 思うのです。あの時僕がしていた「心配」は本当に心配だったのだろうかと。彼女は言っていました。「本当に助けてほしいっていわれたときに助けてあげるのが優しさだよ。」あの時、僕は彼女にそうしてやれただろうか。いや、してやれなかったからこそ、彼女を逆に苦しめたのです。
 どうしてあげたら良かったのでしょうか。
 …彼女の自立心を信じ、じっと話を聞いて、彼女が自分で乗り越える援助をするのです。自分の「心配」を彼女に訴えたり、バイトや色んな活動をやめるように言ったりすることではないのです。それは、悩んでいる本人を余計追いつめることにもなるのです。
 しかし、残念なことに、「依存」から抜け出せなかった僕がとる道は、「心配」→「彼女の苦悩」→「さらなる心配」→「さらなる彼女の苦悩」…でした。依存のもととなる自己肯定感の不足は、他者の自立心や尊厳さえも奪うのです。だから僕は必ずこの連鎖を斬る。
 …と偉そうなこといっても、体力です、まずは。

 明日は、能力主義についてでも書こうと思います。

天気:くもりのち一時雨、雷を伴い、取手駅付近に落雷(東京都板橋区・茨城県取手市)

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