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秋すぎて

2006年11月14日


 秋すぎて冬来にけらし…?
 取手駅前。少ない木ももう緑ではなくなっています。それにしても、コンクリートジャングル。

 ここはうってかわって、昨日のイルミネーションの昼間の様子。昼食をとりに外へ出た時、ちょっと撮影。夜はライトできらめいていますが、昼は昼で、太陽光がベルに反射して眩しい…。
 もう冬か。まだ心は夏のままです。切り替わり遅い~!
 ついでに、昨日の日記、「窒素」と「チッソ」が、すずき産地さんのご指摘通り、誤変換していたので、校正しておきました。

天気:晴れ(東京都板橋区・茨城県取手市)


 最近、いじめ自殺が多発。僕もそのニュースに触発され、隠れていたものが見えるようになっただけで、すごく増えたような気になってしまっています。でも、いじめを受けている本人や、いじめをしている本人は、マスコミが取り上げるよりも前からずっと苦しんでいるのです。
 僕も、いじめたしいじめられた。昨日、いじめが陰湿化していると述べましたが、いじめに陰湿であるか否かは関係ない。いじめそのものが不当です。
 そこで僕自身にも問うてみたい。あの時、いじめた時の気持ちを問うてみたい。
 その女の子が憎かったわけではありませんでした。むしろ、憎かった人間はもっとたくさん周りにいました。それでも、なぜ、彼女を攻撃したのか?僕自身がいじめ(迫害)を受けていたから?
 今をもってしても、あの時、彼女に迫害を加えた理由が解らない。あるいは、その迫害は、僕自身が受けていた迫害による不幸を補うための「依存」だったのかもしれません。
 今では誰かをいじめたいとは思いません。そりゃぁ、腹立たしい政治家などに対しては、「どこかに行ってしまえ」くらいは思いますが。それでも、何も悪くない人を不当に迫害するなんて…。今そう思う理由も解りません。

 よく考えてみれば、当時僕自身がいじめたよりも、迫害を受けた恨みがすごく強いことに気がつきます。僕の場合は、知識に対する迫害でした。「円錐(えんすい)」の「錐」を、算数のテストで漢字で書いた時、クラスのみんなの前で教師から「キザだ」と言われたことがあります(小学6年)。健康な大便の形を、保健体育の時間に述べた時、それを理由に「うんこ博士」と言われるようになったこともあり、便所を覗かれるなどもありました(中学1~3年)。
 だからといって、僕が彼女をいじめたことを正当化するつもりはない。これは念のため述べておく。ただ、僕にとっての「支配者」を排除する方法は当時はありませんでした。たった10歳前半の子どもに、その理性的な解決を考える力などありませんでした。
 …今の子どもたちはどうなんでしょうか。誰かをいじめている子どもたちは、また誰かにいじめられているのですか?「いじめ」という言葉でなければ「迫害」でもかまいません。
 いじめはなぜ起こるのだろう、いや、なぜ「起こす」のだろう。本当に解らない。これからも自分に問うていきたい問題です。

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