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憲法会議?

2006年4月19日

 今日は長い一日でした。暇だったとか、辛かったとかではなく、とてもいろんなことがあって、充実していました。帰りの満員電車なんて屁でもないくらい元気でした。もっとも、体調が100%だったかというと、そうでもないのですが。
 今日の夕方から夜、憲法について議論しました。今、自民党や民主党・公明党などが憲法改正の「国民投票法案」を出そうとしているということを最初に知りました。これは何だろう。これは、憲法を変えるかどうかを国民に問うもので、過半数以上賛成なら国会で憲法を変える作業にはいることができます。もちろん、憲法を変える必要性はないと断言できるのですが、この「国民投票法案」を通すべきかどうかがとても難しい。憲法を変えたくないから国民投票法案は否決するべきというのも、少し強引です。なぜなら、憲法が未来永劫変えられないことになるからです。戦後すぐにできた憲法。当時の人や現代人が思いもしない民主主義的な意識が盛り込まれるかも知れない、(象徴)天皇制を廃止したいという世論が高まるかも知れない。そう考えると、未来永劫国民投票法がないというのはまずいのです。
 しかし、今、ここで国民投票法案を通すとどうなるかを考えてみました。これを考えるとき、憲法を変えたいという人、変えたくないという人、それぞれが何%いるかは関係ありません。投票に際して、民主主義が守られるかどうかです。これは、国政や一斉地方選挙に共通する選挙を見れば明白です。お金や権力のある政党や候補者が有利です。憲法の国民投票も、宣伝するのは人や政党、団体です。具体的に政党でいえば、改憲派は自民党・民主党・公明党であり、護憲派は共産党・社民党です。この二軍間で財政力や権力に差がないというなら、それは嘘でしょう。現状からすると、たとえ両者にその意思がなくとも、これらの差で、情報の格差が生まれることは必至。つまり、今ここで国民投票法案を出すということ自体が、非民主的な土台の上での国民投票につながるのです。そして、投票の結果はどうあれ、改憲の流れに乗ること(改憲勢力にのみ有利に働くこと)になるのです。…それゆえに僕は、「国民投票法案」には反対です。
 逆に、護憲勢力が権力を握ったらどうなるんだって?これは僕自身を含めた護憲勢力の政党や団体、個人全員が肝に銘じなければなりません。もし、自称「護憲勢力」が憲法を変えさせないために「国民投票法案」を絶対に通さないとか、改憲勢力の発言を意思の有無にかかわらず制限していれば、それはもはや「護憲勢力」ではありません。そういう前提と覚悟がなければ、「国民投票法案」に反対することはできないのです。

 …今日はその「国民投票法案」に反対することがどうかということで議論しまくりました。会議が終わってからも、下りる駅を乗り過ごしてまで話していました。1対1の対話。多数意見で少数意見を圧倒する関係は成り立ちません。自分が相手の話をどれだけ聞けるか、どれだけ自分の意見を正確に伝えられるか、真に試されます。どんな立場であれ、多数にあぐらをかいていることは、それ自体が民主主義に反します。相手がどんな立場であろうと、どれだけ少ない勢力であろうと、意見を尊重することが民主主義の必要条件(最低これは必要という意味。十分条件ではありません)です。それは意識に依らない、必然的なものです。これを否定するなら、否定した人は、自分の話を聞いてもらえなくても文句を言えないことになりますから、僕はその人の話を聞かなくてもいいことになります。…これはおかしいですね。矛盾しますね。
 自分が民主的であるとは思ってはいけない。常に、必要条件を手に入れただけだということを忘れないで生きていきたいものです。
 議論の機会を与えてくれた会議と一緒に電車で語り合った彼に感謝です。
 ふむ、これが一ヶ月ほど前、「もう出たくねぇ?」とうだうだしていた会議と同じなんて誰が信じるでしょうか。万物は流転する。弁証法的に考えよう。健康にもきっとその方がいいさ。
 

天気:曇り(東京都板橋区・茨城県取手市)

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