何が君の幸せ?
雑念が頭から離れません。ある掲示板で、やることなすこと、攻撃的。相手ももちろん売り言葉に買い言葉でそうなっていますが、もはや僕にもそれをコントロールする余力がなくなっていることを意味します。いったい俺は何をやっているんだ?
僕はなぜ学ぶんだろう。高校生活が始まった頃、化学・生物学系の話が好きで講談社のブルーバックスを読み始め、大学に入ってから興味の幅が広がり、食品や環境はもちろん、経済学や教育などの本も読みました。単純に、目から鱗、興味心をくすぐられるといったような感動を純粋に楽しんでいたはず。それは間違いなく僕の幸せだった。いや、もちろん、それは今も変わらない。
でも、ちょっと違う。いつしか僕は学問を「武力」としても使うようになった。そう、相手を論破したり、自分を正当化したりするためにも。最近、中国や戦争に関係する本を読むことが多いのは、一面では「ある掲示板」で問題意識が湧いたこととも言えますが、もう一面は、相手を攻撃しようという邪心。それは間違いありません。太平洋戦争の本を読んでいた時、本当にその悲惨さを感じながら読んだか?…結局、その掲示板に学んだことを引用することはありませんでした。学問を「武力」に使いたくないという気持ちがまだ残っていたのかも知れません。それでも、理屈でたくさん攻撃した。消せない汚点です。
これはまた別のホームページで、僕がほぼ毎日見ているところに、お父さんと次女のやり取りを書いたものがありました。かなり前に見たものですが。
その中で、その次女が言っていたことが胸を突き刺します。
「私は学びたいから学ぶんだ」
その次女というKちゃん、僕よりも干支は一回り以上年下の子です。とてもいい考え方だと、今になって思います。
学びたいから学ぶ。そして、もっと発展して、共に前に進むために学ぶ。言うのは簡単でも、やるとなると意外と精神力が問われます。
「科学的」って、そんなに甘いもんじゃないな。だって、本などで知識を得ているだけでも、論理的に考える力があるだけでも駄目なんだから。大事なのは、その科学に目的がつくこと。今の僕にはその目的(自分を含める誰かの幸せとか)が見えません。「何が君の幸せ?」と問われても、答えは雲の向こう。曇ってて暗い森の登山道を、虚ろな表情で重い荷物を背負って歩いているような気分です。そんな時、山の頂上にある感動的な光景を想像することも、雲の向こうにある太陽や雲海を夢見ることも出来ません。
仲間を感じられる人間になりたい。
天気:くもり時々雨(茨城県取手市・東京都板橋区)
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