なんとか復活
今朝の体調は、まずまず。納豆ご飯を掻っ込んで、出発!やっと日常に戻れました。
出発するとき、ちょっと周りの自然を気にしてみたら、もうすっかり秋。8月にはトケイソウの花が咲き誇っていたのに、もうつぼみもない。イネ科の雑草も冬に備えて穂を付けています。
今日の仕事はいきなりまた多忙でした。でも、集中!手伝ってもらいもしましたが、18時までに余裕で終了。他の作業も出来ました。
途中、来客があり、その方たち手作りの栗の渋皮煮(?)をいただきました。直径3センチ以上はある大きな栗。美味い。もちろん、国産だそうです。
そのあと、かなり前に退職した方と、職場近くのベトナム料理屋さんで打ち上げ(何の?)。とにかくいろんな料理を食べましたが、名前で覚えているのは…、覚えているのは、美味かったことだけかも知れません。ただ、辛い料理が鼻に逆流したときは、悶絶しました。
ともあれ、店員のお姉さん(中国かベトナムの人?)は快活で、対応もよし、メニューも美味し。また来よう。
メニューです。日本語、がんばれ!メシはうまいぞ!
ココナツミルク。牛乳みたいな味を想像していたら、ほんのり甘いけど、あまりにおいも味もないのです。
ベトナムビールらしい。僕は飲めません。333とは?添加物のエリソルビン酸(アスコルビン酸(ビタミンC)の光学異性体らしい)と亜硫酸塩が気になりました、何気に。
ザーサイです。どんな植物なんだろう。アブラナ科とか言っていた気がしますが…。
今日はそれなりに楽しかったのかな。まだ心は曇ってるけど。
天気:くもり(茨城県取手市・東京都板橋区)
帰りに、10月1日に買った『愛国者は信用できるか』を読み始めました。予想通り、切り口がおもしろい。著者自身、自分の「愛国心」をいろんな行為で示してきたといいます。左翼に暴力振ってきた。そして、逮捕された。
そういう過去を踏まえながら、著者は「愛国心」や「愛国者」という言葉に対して、意味合いに対して、異議を唱えています。
僕がまず目を剥いたのは、この文章です。
『愛国者は信用できるか』鈴木邦夫著 講談社 P.25-26より
…(愛国心という言葉は)「愛」という普遍的な装いをしながら、実は対立・憎悪を煽るときに一番よく使われる。今だって、「中国、韓国になめられるな!」「北朝鮮をやっつけろ!」と叫ぶ人が多いし、そう煽り立てる雑誌も多い。(中略)
愛国心は「愛」といいながら、他人も他国も愛さない。自己愛と国家愛しかない。自分がいかに国を愛しているかという「自己申告」と「自慢話」の競争になる。また、他の人はいかに国を愛していないか、という批判、糾弾の道具として使われる。凶器として使われる。(引用終わり)
…「愛」という言葉をはき違えている人にはぜひこの言葉の意味を理解してもらいたいものです。何も、これは愛国心という言葉に限ったものではなく、平和活動をしている人だってそうかもしれません。「僕は平和を願っている」といいながら、身の回りの人の権利を踏みにじったりしてることもある。
僕は、「右翼」を誤解しているのかもしれません。今、阿部首相をはじめとする「愛国者」が増えています。しかし、この著者も三島由紀夫氏も、その自称「愛国者」とは全然違います。もう一つ引用。
同上 P.23より
…国家を愛しているという人がいても、それでも、「愛国心」は心の中で思っていたらいいだろう。「愛している」と公言すべきことではない。胸の中にしまっておいて、何かあった時に、それに基づいて行動すればいいのだ。(引用終わり)
…含蓄のある表現です。恐らく、この本ではあとで出てくるでしょうけど、そう考えたら、右翼から見ても今の「愛国心」を強制するような情勢は間違っているということになりそうです。
なるほど、僕は、こういう右翼なら話をしてみたい。本の帯には著者のことを「新右翼」と書いていますが、僕は「真右翼」だといいたい。
他にも、21ページの最後くらいから22ページにかけてとか、24ページの最後の方とか、なるほどって思うことありました。(もう引用はしません)
一つ残った疑問は、「愛」と「恋」を使い分けているところ。三島由紀夫氏は「愛」ではなく「恋」で十分だといっているそうです。国に対して。著者の後輩の森田さんという人も「俺の恋人、誰かと思う。神の作りし日本国」と言っていたそうです。徳富蘇峰(とくとみそほう)という人の言葉らしいですが。説明はしてくれているのですが、イマイチ理解が。「愛」と「恋」…ねぇ…。
うん。まぁ、続きが楽しみです。期待。
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