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Archive for 2006年6月

不況と食の安心

2006年6月11日

 何日か前、一枚の葉書が届きました。それは、行きつけの常総生協井野店からです。中を見ると、店を閉めるとの内容でした。「供給高低下」とあり、経営が赤字のようです。「赤字発生がわずかな段階で撤退する」とのことなので、閉店は時間の問題です。もし、ここからこの店が無くなれば、どこから野菜を買えばよいのでしょうか。戸頭に常総生協はありますが、車を持っていない人間はまず行く気になれないでしょう。

 常総生協井野店は、場所が団地の裏にあり、人通りも非常に少なく、客の入りやすい条件にありません。それに加えて、青果、特に果物の値段は近くのスーパーに比べると2倍以上します。この常総生協では無農薬をかなり多く扱っているのですが、果物では無農薬栽培が特に難しいそうです。それに、安い外国産の農産物に圧されれば…。

 この常総生協井野店の閉店は、単に経営者と、安物買いの消費者の責任でしょうか。
 見かけは、運送や冷蔵の技術が発達したせいか、アスパラガスでも、国産の、地場産のそれと殆ど変わりがありません。栄養価に至っては、食べるまで判りません。ブロッコリーなどではビタミンCの量が少なくなるという実験結果もありますが、食べる価値が無くなるほどとは言えないようです。
 それでもなお、捨て置けない問題があります。ブロッコリーや玉葱など、最近輸入量が増えた青果物一つ一つが、どこの国で、どんな人が、どんな状態で作ったのかは判りません。その解らなさはもちろん「安心」感を無くさせるのですが、解っている分をいえば、現地の生産者が自分で作ったものを食べられない、ひどいときは餓死する、そんな状態であるとも聞きます。無理が通れば道理が引っ込むといいます。無理をさせて作った生産物が、たとえ化学的には「安全」であっても、社会的に「安心」であるかどうかは別問題なのです。
 外国産のものが安い理由が、労働力を安く買い叩くからという理由だけではないにしても、それが占めるウェイトは大きい。その人たちの生命を食い物にして、本当に安心なのでしょうか。
 多少高くても「安心」して買えた常総生協の野菜たち、もう会えなくなるというのか。悲しいことです。ここに卸していた生産者たちも、今後いったいどうなるのでしょうか。
 ところで、今までここの野菜を食べることができた僕はまだ幸せなのかもしれません。「高くても国産のものを食べたい」という国民世論とは裏腹にやっぱりスーパーの「広告の品」や「値下げ品」を求める人は多い。経済的に逼迫した生活が、無意識のうちにそうさせていると思えてなりません。そして、安ければそれでいい、高い人件費を掛けてまで日本の農家を守る必要はない、そんな考え方になってしまうのかもしれません。ここまで国民の所得を奪い、心を荒廃させた政治と社会が許せない。

 明日から仕事。この二連休、あっという間だった気がします。昨日の時の記念日も、あんまり大事にできなかったなぁ。

天気:くもり時々雨(茨城県取手市)

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環境ホルモン話

2006年6月10日

 環境ホルモン。そういえば、この言葉を聞かなくなって久しい気がします。専門的な学術論文を読む機会すらない一般市民にとって、金持ちなどが垂れ流す「環境ホルモンはウソ」説を信じるしかない情勢では、仕方のないことなのかもしれません。しかし、そんな中、池袋で行われた、『環境ホルモン問題は今どうなっているのか』と題したミーティングに行ってきました。市民レベルで主催されたこのミーティング、どの程度Science baseで話を聞けるか半信半疑でしたが、それでもとりあえず期待していきました。

 しかし、情勢の厳しさは変わらないようです。なぜなら、イボニシのインポセックス(雌にペニスができる)や、異常行動との関連を、性格に突き止めるレベルにはまだいっていないからです。講師の森田さん(内分泌攪乱物質学会)もこの問題を「永遠の課題」といっています。確かに、目に見えないレベルで起こる、複合的な問題なので、解明は難しいでしょう。そうであるなら、現段階で環境ホルモン問題は政治・経済レベルの問題なのかもしれません。
 環境ホルモン問題のみならず、遺伝子組換え食品や食品添加物、排気ガスその他の毒性問題は、自然科学によって解明するものでありながら、真相が解らないのを良いことに政治レベルの問題に持って行かれます。何となく、従軍慰安婦や南京大虐殺問題と似ているような気がしなくもないですが、何にせよ、物的証拠を揃える必要があります。
 ところが、物的証拠を揃えるための生物化学的・疫学的な研究には、膨大なお金がかかります。それは機能性食品の研究とも同じはずです。でも、利益になる機能性食品の研究に対置する、利益にならない毒性学研究に、いったいどこの企業が自主的にお金を出すのでしょうか。結果的に、国が支援するしかないのですが、そういう情勢ではありません。そして、それを研究している機関は、一部の大学と、一握りの公的機関に限られるようです。各食品・医薬品企業がしのぎを削って新しい商品を研究するのに比べたら、何と貧弱なことでしょう。事実、大学の研究室を探すときも、環境も含めて、毒性学的な研究をするところは、機能性食品のそれに比べ、1割あるかないかです。
 一方で、この環境ホルモンや化学物質全般の毒性問題について、科学的根拠があまり無い情報が市民の中に一人歩きしている現状もあります。講演の後に質問コーナーがあったのですが、驚きました。
質問者:近頃、男性にも内股で歩く人が多い。また、トイレで座って小便をする人が多い。缶コーヒーの内側にある塗装がビスフェノールA(ポリカーボネートというプラスチックの原料)と関連があるのではないか。
 「内股で歩」いたり、「座って小便をする」ことが、この質問者の中では「男性ではない」証明になっているらしい。かつては化粧をしなかった男性が化粧をし、髪が短い人が多かったのが、今ではロングヘアーも現れました。それは良い悪いは別として、社会的要因です。ジェンダーと呼ばれるものでしょう。2月5日の時の味噌作りでもそうでしたが、そういう穴は、抑圧階級側の餌食になります。

 そういえば、この会場、今世間を賑わせている会社の欠陥エレベータでした。とりあえず、こうして日記を書いているので、無事だということですが。

 帰ってきたら、昼間は咲き誇っていたトケイソウが、殆ど萎んでいました。けども、2輪、綺麗に咲いているものがあり、撮影。

天気:くもり時々晴れ(茨城県取手市・東京都豊島区)

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憲法は守れるか

2006年6月9日

 今日夕方、『日本国憲法』というドキュメンタリー映画を見ました。これは日本人が作ったものだと思いきや、アメリカの映画監督が制作したものです。
 ドキュメンタリー映画といえば、『ボーリング・フォー・コロンバイン』や『華氏9・11』、『スーパーサイズ・ミー』などがありましたが、むしろ、この『日本国憲法』は“民主化された”NHKスペシャルのようです。ここに、改憲に賛成の立場の人間が出てくることはありません。恐らく、出てきても何もしゃべれないでしょう。
 僕はレビューを書く能力は極端に低いので、書きません。

 この映画の後、監督直々講演です。監督の名前は、John Jukerman(ジャン・ユンカーマン)氏。(カメラを忘れたので携帯で撮影)

 憲法を変えることについて、世論調査が4月にあったようです。賛成42%。1年前より20%ほど下がっているそうです。一方、9条を変えることについて、賛成24%。同じく、15%ほど下がっているそうです。
 ジャンさんは言います。「マスコミなどでは九条の会の広がりなどを報道することはありませんが、世論は改憲に反対する方向に向かっています。国民は自分の目で判断し始めています。」と。これにはかなりショックを受けました。二大政党に踊らされる国民をイメージしているからです。何故ここまで改憲について慎重な人が増えたのか、今一度考える必要があります。
 また、一年前はこういう講演に、「人の集まりは悪く、来る人も(改憲を止める)自信がない。」と言っていました。それが、今や、九条の会は4800を超えているそうです。
 これをどう見るかは、人それぞれ?
 この後、質問コーナーでした。特攻(と昔いわれたことがある)の僕は、最初に質問。
ジャン氏:世界では、日本は「戦争をしない国」のイメージ
僕:映画を見る限り、シリアだとか中東とか、日本から遠い国の方ではそう見えたが、アジアではどうなのか。
ジャン氏:日本は、教科書問題や靖国参拝に見られるように、反省をしていない。九条があるから辛うじて信頼されている。
 …ということは、九条が無くなったら…?
 僕の次に質問した人がいます。
北区の女性:ビラを配っていても、無関心であったり、目をそらしていったりする人が多い。どうしたら関心を持ってもらえるか。
ジャン氏:ビラを配っていれば、もらっていってくれる人もいるし、勇気を持って配っている人がいるということを、感じる人も出てくる。…
 なるほど。この後にも続けて何か答えてくれた気がしますが、諦めずやるということが大事なのですね。右翼などが、茶番劇的にジャマしてくる経験はありますが、そういうのにめげていてはいかんということですか。憲法に対する思いは人それぞれあるから、色々試してみるといいのですね。

 最後に一つ。「日本国憲法が押しつけられた」という話がありますが、これは嘘です。「歓迎された」という意味でも、日本国内の市民レベルで草案が出されたという意味でも、マッカーサーが一方的に押しつけたというのは嘘です。仮に、押しつけられたから変えなければいけないというなら、憲法制定直後から改憲を迫ってきたアメリカに対しても「改憲を押しつけるな」と言えなきゃ可笑しいですね。
 嘘をつく人は、本音を隠すために色んな理由を作るものです。が、すぐに本質でないことがバレるため、話は二転三転。いいかげんですね。

天気:雨のちくもり(東京都板橋区・茨城県取手市)

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ツバメの巣

2006年6月8日

 都会で(取手市が都会かどうかは別として)こういう風景もあるものなのかと、思う場面でした。

 帰り、本部の人と一緒に帰りました。話をする中で、労働とは何か、また考え込みました。自主性と社会人としての労働は一般的に共存可能なのか、と。長時間過密労働をなくすために労働組合の人たちが運動を起こします。でも、一定規模以上の企業にとってはそれは可能であっても、中小企業にとってはそれは可能でしょうか。あるいは、当の労働組合の専従や、その他運動団体の中では…?経済的には結局長時間過密労働をせざるをえない、「無理が通れば道理が引っ込む」状態を抜け出せないのでは…?それでも、中小企業や長時間過密労働をなくすために闘う団体は必要です。では、そこの人たちの生活を保障するにはどうしたらいい?それとも、一種「自主性」の名の下で、結局過密労働を強制するのか?なんか違う。
 でも、常に答えを求め続けることが大事。「理想じゃん」とすませば、永劫「理想」止まり。それこそ、本当の「負け組」だと思います。良くしたければ、そうなるように最善を尽くすしかない。僕はまだ諦めるには早いと思うから、先送りしながらも、考えていきます。

天気:くもり(東京都板橋区・豊島区・茨城県取手市)

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受動と能動

2006年6月7日

 今日の職場も大変忙しかったのですが、少し麻痺してきました。それに、仕事が忙しいことはそれほど苦ではありません。
 今日は、能力主義について考えてみようと思います。

 最近、一緒に何かをする仲間が増えて前よりもずっと幸福度の高い生活をしています。しかし、その一方で、とてつもなく生きづらいと思うことが多い。仕事をやっていてそう感じることが多いのも特徴です。
 この辛さの根源は、僕自身の中にある「能力主義」なのかなと考え始めるようになりました。よくよく考えると、僕は事あるごとに、「~であるべき」「~するべき」と思考が寄ったり、発言したりしているのではないかと思います。「2年も働いているのだからもう自分で課題を見つけてアクションすべき。」とか、「自然科学を学ぶのはいいが、その社会的意義を見いだしてやれなければ、自然科学者としてダメだ。」とか。正論に聞こえるかもしれないけど、人間そんなにうまくはいかない。スーパーマンではない。
 細かい点で言えば、僕にはそういうところが本当にたくさんある気がします。あれを学ばなきゃダメ。この人のように外を向いた活動をしなければダメ。何でも自分一人でできなければダメ。打ち込める物がないとダメ
 これでは、いつまで経っても自分を肯定できません。疲れます。そして、さらにそうして落ち込む自分を責める。悪魔のサイクルとはまさにこのこと。これは自分が自分に対して要求する「能力主義」。
 たぶん、そういう自分に対する要求は、他人にも向いていると思います。どこかで人を傷つけているのではないか。そんな気もします。そういう「能力主義」を排除しないと、今後も辛い思いをして生きるハメになりそうです。ダメではなく、その方が豊かに暮らせるのでは?という無言の問いかけを自分や、周りの人にしてあげられるようになれたら、より楽に豊かに幸せに生きられるのでは?と思いました。

 健やかで幸せなる生活のために、訓練でしょうか。
 もちろん、自分で克服する努力と同時に、能力主義を蔓延させている社会を戒める必要もあります。それは自分の能力主義を戒めることでもあるのかもしれません。

天気:晴れ時々くもり、一時雨だったらしい(茨城県取手市・東京都板橋区)

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心配―むかしの恋愛を通じて

2006年6月6日

 時には昔の話をしようかと思います。今日は職場は忙しかったのですが、それはさておき。
 2001年、ある人と付き合っていた頃の話です。今思えば未熟なつきあいでした。

 当時、彼女はとても活動的な女性でした。週4回、時給900円で東京のパン屋さんで朝6時から12時までバイトをし、その後学校に行き、さまざまな活動にいそしんで、夜の帰りは23時くらいになることもざらでした。朝6時にバイトをするには4時半には起きておかなくてはならず、始発近い電車で、冬も夏も、がんばっていました。
 朝早く、夜遅い生活。体のことも、暗い中女性1人で歩くことの危険も常につきまといます。彼女自身も時々辛くなることがあるらしく、たまにバイトに行けなかったり、活動で振るわなかったりしたとき、すごく気落ちをしたものでした。僕も、ストレスや過度な負荷が、女性の健康には特に強く影響すると考えており、気が気でなりませんでした。毎日、夜、メールや電話で、「今帰ったよ。」などを知ると、あたかも僕の方が「今日一日生き延びた」かのような感覚でおりました。
 一方、当時僕は学生。研究室で実験をする立場でありながら研究テーマがいつまで経っても決められず、実験がまともにできませんでした。今ほど人とのコミュニケーション力もなく、自分のことも全く解らず、自己否定感はそれこそ親不知にこびり付いた歯石のように強固でした。そんな僕は、彼女の「過酷」な毎日を見て、彼女を失ってしまうことの不安から、彼女のことを「心配」したものです。だからこそ、メールや電話は「生きている証拠」みたいなもので、安心できたのでしょうね。
 ある日、彼女は「肺が痛い」とメール。その時、仲間と集まって話をしていたにもかかわらず、全く話を聞けませんでした。あの焦りようは尋常ではありませんでした。他にも、電話が繋がらないときなんか、パニックを起こしたものです。

 しかし、いつしかそれは彼女のことを本気で心配しているのではないと思うようになりました。当時の彼女もこう言います。「ふうちゃん自分のことしか考えてないよ。」
 それはその通りです。僕が当時していたのは恋愛ではありません。「依存」あるいは「共依存」です。彼女の活動的なこと、彼女がいなくなること、それが(共)依存の対象を失わせるものだったならば、当時の僕がパニックになるのは当たり前なのです。「依存」によって自分の存在が認められているような錯覚に陥っていたのです。
 …当時彼女は思ったことでしょう。いや、僕に何度も言っていたかもしれません。「疲れる」と。当然です。本当に辛いのは彼女本人。でも、僕は彼女を「心配」するあまり、彼女はその僕の「心配」を取り除く努力まで余計にしなければなりません。それは二重苦以外の何物でもありません。しかも自分のことに身が入らず自信をなくす僕を励ます、というオプション付き。

 思うのです。あの時僕がしていた「心配」は本当に心配だったのだろうかと。彼女は言っていました。「本当に助けてほしいっていわれたときに助けてあげるのが優しさだよ。」あの時、僕は彼女にそうしてやれただろうか。いや、してやれなかったからこそ、彼女を逆に苦しめたのです。
 どうしてあげたら良かったのでしょうか。
 …彼女の自立心を信じ、じっと話を聞いて、彼女が自分で乗り越える援助をするのです。自分の「心配」を彼女に訴えたり、バイトや色んな活動をやめるように言ったりすることではないのです。それは、悩んでいる本人を余計追いつめることにもなるのです。
 しかし、残念なことに、「依存」から抜け出せなかった僕がとる道は、「心配」→「彼女の苦悩」→「さらなる心配」→「さらなる彼女の苦悩」…でした。依存のもととなる自己肯定感の不足は、他者の自立心や尊厳さえも奪うのです。だから僕は必ずこの連鎖を斬る。
 …と偉そうなこといっても、体力です、まずは。

 明日は、能力主義についてでも書こうと思います。

天気:くもりのち一時雨、雷を伴い、取手駅付近に落雷(東京都板橋区・茨城県取手市)

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崩壊

2006年6月5日

 今朝はどんな天気だっただろう…。昨日の朝と今日の朝がごっちゃになっていて、よく覚えていません。しかし、古くなった納豆ご飯を食べて出かけたところまでは覚えています。そう、圧力鍋が過圧していて事故を起こしかけたことも。とりあえず、先週木曜と金曜に具合を悪くさせたマク●ナルドの物質「混合物」を食べずに行けたことは幸せかもしれません。

 職場は4日ぶり。このくそ忙しい時期に休んでしまったことに負い目がありつつ、今日のそれなりの忙しさと、我が欠勤の多さに辟易して穴に入りたい気分もあり、みんなに迷惑かけた一言も言わずに作業に入っていました。失態。理由はどうあれ。
 そして、今日職場で、僕の頭は噴火しました。細かなことはここに書く気がしません。…が、根本的な理由は、やっぱり僕の体力の弱さ(精神疾患も脳という臓器を使うため、体力の弱さと見なす)です。それが引き起こした人間的トラブル。
 平日の拘束時間は通勤・帰宅の往復で3時間10分と8時間+αを加えたものです。この通勤時間は大きな問題です。しかし、近くに引っ越そうと思えば、東京近辺。取手市くらい低密度で自然がある程度豊かな都市は考えられません。しかも、狭い居住空間に高い家賃。京都の狭くて高い家に住んでいた時を彷彿とさせます。住む場所で苦しむか、通勤時間で苦しむかの、まるで「自民か民主か」を迫られるようなおぞましい選択です。
 …それでも、みんなそんな中を何十年も通勤できているし、高校の時は3年間、地下鉄での通学時間1時間以上をかけていたこともありました。大丈夫だとタカを括っていました。しかし、よく考えたら、一生です。一生住み、あるいは通うのです。体力のあった高校3年間や、大学院2年間(京都)ではありません。死ぬまで、未来永劫。僕はそれに耐えられるのか。生きるためには、日本人口の4分の1が集まる東京近辺で、都会の喧噪か長い通勤時間かの「二大政党」を選ばざるをえないのか。そして、それはどう考えても、職場の人や関係者に迷惑や心配をかけてよい理由にもならない。四面楚歌、八方ふさがり、一寸先は闇。
 僕の場合、職業自体に大きな問題はないのです。もちろん今は、人間のそりの合う・合わないがあったり、やっていることに確信が持てなかったりすることはありますが、それらは時間とともに、努力と能力によって解決できます(確信)。でも、東京が高密度・大都会であり、取手市との通勤時間が長いことは、経済学的・物理学的問題で、生きている間に変えようがありません。それでも、このまま周りに迷惑と心配を撒き散らし、負い目を感じ、自虐的・退廃的になりながらやるのか?
 正直、最近、辛い。続ければ体力が辛いし、休めば心が辛い。昨日の『コ・ビアン』5月21日の祭りなどは、唯一心のオアシス的存在です。「そんなもん。みんなそうやって生活してるんよ。」…どこからかそんな声が聞こえてくる。それでいいのか。そんな辛いことが殆どの人生、何の意味がある?


 …で、今日、早速夕方、歯医者でした。17時に1時間も早退。そのために仕事が十分こなせず、早くも迷惑千万。ま、それは十分上で書き殴ったのでよいとします。歯医者さんでは結構待ちました。いや、それだけ念入りに診察しているということでもあり、歯科医師や歯科衛生士の方々の質は良いことを意味するのでしょう。患者思いの衛生士さんでした。歯の磨き方がテキトウなことを棚に上げて言い訳している僕に、「夜、歯を磨く時間は取れそうですか?」と。院内に掛けられた民医連の「綱領」には「患者の立場に立って…」というくだりがあります。たぶん、医師や衛生士がみんな話し合って、そうなれるように努力しているんだろうな。みんな、どんな思いで歯科という職業を選び、労働しているのだろうか。それとも、ひたすら「我慢」?あるいはその両方。色んなことがあっても歯科を選んでがんばっているという結果だけは変わらない。僕が不細工なグッピーたちをいじめ愛でながら待っている間も、もう夜8時も回ろうかとしているのに働いています。何故みんな献身的になれるの?何故「我慢」できるの?僕にはまだ解らない…。
 帰りの新松戸駅。ホームの売店に張り紙。タバコのチラシです。「肺がんの原因になる」とか、「早産を起こすかもしれない」とか書いておきながら、明らかに若い女性を商売の対象にしたと思われるチラシ。人の健康と苦悩から逃れたいと思う気持ちを食い物にすると僕は思っているので、絶対に許せない。…というと、労働者を使ってこういう宣伝をするタバコ会社や政府はこう言うでしょう。「タバコを吸う、吸わないは個人の自由で自己責任。」と。
 健康のために努力している歯科医師・衛生士さんたちと、タバコという人を食い物にする(されていると気づかない人も含めて)もので儲けようとする人たち。同じ我慢をするなら、前者の方がいい。それに、人のためになれるなら、「我慢」とも思わない?
 下の写真は歯医者のブサイクなさかなちゃんと、おぞましいチラシです。

天気:くもり時々晴れ(東京都板橋区・千葉県松戸市・茨城県取手市)

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手賀沼でお散歩

2006年6月4日

 今日は取手の仲間と手賀沼(千葉県我孫子市)のお散歩でした。我孫子駅に着いたあたりから天候が良くなり(僕一人ではあり得ないだろう)、5月13日の雨とうってかわって、よい運動でした。

 手賀沼はとても水質汚濁が進んだ湖沼の一つだそうで、周辺住民の運動が盛んだそうです。それは5月13日の日記にも確か書いたと思います。有リン洗剤(トリポリリン酸ナトリウム…だっけか)などによるリン・窒素等、富栄養化で植物性プランクトンが繁殖し、結果魚を窒息させたりするそうです(エラに詰まる?)。そのため、公園の散歩道の途中には「アオコ分離脱水装置」と呼ばれるものが置かれています。ただ、この様子から今も稼働しているかどうかは不明です。

 アオコを取り除くだけではダメなので、手賀沼という閉鎖系からリン及び窒素を除去するためにヨシが増やされています。刈り取ってしまえば、ヨシに固定された窒素やリンは除去されるはずです。

 公園の中に「親水広場」があり、博物館が中央にあります。

 ここでは水の浄化や生態系の学習ができるようになっています。また、2階ではプラネタリウムが毎日上映されています。屋上には展望台があり、手賀沼とその遥か向こうを見渡すことができます。
 下の写真の説明ですが、左が「1mlのしょうゆを浄化(魚が棲めるように?)するのに必要な水は何リットル?」のような問題を提示し、そのリットル数をペダルをこぐことで解答するものです。子どもが挑戦しています。右は建物1階の奥に飼われている手賀沼のヌマエビというエビです。

 プラネタリウムは生まれて2度目の体験ですが、今日は手塚治虫のアニメを使った反戦物語を通して星座を学ぶものでした。プラネタリウムとはこういうものなのか…。北斗七星とおおくま座、そのすぐ横にこぐま座、おおくま座の尻尾(北斗七星の柄の部分)から星二つ分(既に星の名前を忘れた)で春の大曲線。その曲線の先、スピカが乙女座の麦の穂の先。その後はもう覚えていません。星座は中学の理科ですべてに先駆けて苦手でした。…。
 ちなみに、こんな市営の博物館で、このご時世に平和を訴えるようなプラネタリウムなんてやっていたら、共謀罪で捕まるかもしれないよ。…なんてね。下の写真は映写機。

 親水広場には、水に関わる遊具もあります。ペダルを踏んで水鉄砲を発するもの、体重をかけて足下のボタンを押して水を噴出させるもの、水門を開いて水車を回すもの(徒労に終わる)、クランクを回して螺旋状の管を通して揚水するもの、など。最後のものを使って遊んでいる家族連れの方がいました。これを見れば、どうやって揚水するのかが解ります。

 今日は「あやめまつり」がありました。何気なく見ていたら、仲間の一人。「これって、ひょっとして、減反で代わりにあやめを植えたんじゃっ!!?」確かに、そう見えます。隣では普通に田植え直後の田んぼがあります。ふぅ…。

 この後、疲れたので気持ち早めに帰路へ。途中に香取神社と水神山古墳、村川邸、志賀直哉宅などをみていきました。村川邸は森の中に静かに建っており、楓があるので秋にまた来たいものです。

 手賀沼の散歩は終わりましたが、我孫子駅前で途中「下車」。『コ・ビアン』(「我孫子(あびこ)」の逆読み)という覚えやすい名前のカフェがあります。行くとき目をつけていたのですが、格調の高さ、品質の良さ、良心的な価格、品数の多さ、ぐうの音も出ないくらいすばらしいものでした。メニューに書いてあった英文。

Since it was a restaurant in Abiko, KOVIAN was named. Our joy is to provide you with meal.

※赤文字はうろ覚え

 確かこんなこと書いてあったと思いますが、言うだけのことはあります。僕らは次から集まりはここでやろうということになりました。スタバはダメということで。
 その『コ・ビアン』にある紅茶の抽出装置がまた初めて見るものです。柄の部分が落ちないような設計になっています。一期一会。すばらしい。他、スプーンやフォークはしっかり鋳物。ピザはチーズたっぷり。呼び鈴は本当に「鐘」。プリンは牛乳と卵からつくり、カラメルソースは砂糖を焦がしたものです。完璧。


 楽しい1日でした。しかし最後に一つ。帰り着いた後のスーパー。『FTAとタイ農業・農村』を読んだ後に見るエビ製品は至極精神的な打撃です。半額だった甘エビのシューマイ。シューマイにしたのは日本のN社かもしれません。しかし、そのエビは…。反対側の売り場で特売のインドネシア産ブラックタイガーが一匹47円。現地の環境・労働者の生活・これを流通販売する企業の利益・このスーパーや僕ら消費者の立場、色々考えました。…日本国産のエビの値段を知りませんから何ともいえませんが、この安さに飛びつくのは、本当にこのスーパーや僕ら消費者のせい?最初に安く売ろうとした人は誰なの?やっぱり消費者や末端の流通業者の責任だなんて、納得できない。…もっとこういう学習、したいな。悔しいじゃないか!

天気:くもりのち晴れ(茨城県取手市・千葉県我孫子市)

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顕微鏡とカメラを背負って

2006年6月3日

 怠惰な生活は相変わらず変わりません。しかし、今日はやっと外に出ることができました。花もいっぱい咲いているので、花粉の写真を久しぶりに撮ります。
 場所は近場。8種類の花の花粉を撮りました。風が強いので、ゼニアオイ(アオイ科)オオキンケイギク(キク科)の花粉は撮影中に飛ばされながらやりました。

 以下、写真の下に花を左に、花粉を右に載せていきます。

  1. ニワゼキショウ(アヤメ科)450倍
  2. トケイソウ(トケイソウ科)450倍
  3. シロツメクサ(マメ科)450倍
  4. ゼニアオイ(アオイ科)150倍
  5. オオキンケイギク(キク科)450倍
  6. ヒルザキツキミソウ(アカバナ科)?150倍

 あと、ワルナスビ(ナス科)がありました。葯を破ってみると、中から赤い芋虫のような昆虫が出てきました。中で寄生して花粉を食っているのでしょうか。

 オオキンケイギクについて、井野団地にお住まいのおっちゃん(初対面)からお話を聞くことができました。おっちゃんの話によると、この花は、鹿児島県川辺郡知覧町(ちらんちょう)にたくさん咲いていたものだそうです。そこから特攻隊が飛び立ったことから、この花は別名、「特攻花」といわれるそうです。
 平和を願う花とたとえられていますが、北アメリカの帰化植物だそうです。何はともあれ、一部の人間(あるいは特権階級)によって平和が壊されようとしている今、お誂え向きな花です。

天気:くもり(茨城県取手市)

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絶不調

2006年6月2日

 朝6時。すごく気分が悪くなって目が覚めました。薬を飲んで何とか落ち着きましたが、恐らくこの状態で出勤すると向こうで具合が悪くなること必至。またか…、という思いで自己嫌悪。
 とりあえず、野菜を食べることが大事と思った昨日。午後、常総生協で野菜を買って、700円サラダ。今日の具材はオカヒジキ、スティックセニョール、キヌサヤ、スナップエンドウ、ニンジン。旬になったので、キヌサヤやスナップエンドウが安くなりました。2・3月頃の半額です。経済的にも、旬のものを食べるに限ります。
 天気は曇りがちでしたが少し薄日も差していました。気温が上がって花の種類が増えたので、写真を撮りました。今日の花は、トケイソウ(トケイソウ科)(左)、もう一つの花が解りません。葉は20~30センチほどあり、少し厚め。茎も太い。何だろう。去年も同じところに生えていましたが。ほか、今日は撮っていませんが、ワルナスビ(ナス科)もありました。

 トケイソウの針(葯)は3本。目盛り(花びら?)はいったい何本あるのでしょうか。

天気:くもり時々晴れ(茨城県取手市)

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毒の食

2006年6月1日

 先週末、抗生物質を飲んだあたりから具合がまた悪くなりはじめました。しかし、並行して食生活の悪化もあります。どうやら、家でちゃんとした食事をしていないと、具合がどんどん悪くなるようです。また、悪いと解っているので余計予期不安を呼ぶのかもしれません。
 今日の朝はまた「毒」を食べてしまいました。何を食べたか。いいたくもありません。しかし、それはもはや「食物」ではないことが解りました。午前中胃のもたれで苦しめられました。また、後に残るあの味が胸を悪くします。
 今週の日曜、麻婆豆腐と野菜サラダを作っていましたが、毎日同じものではさすがに飽きます。また、麻婆豆腐は鶏挽肉を使ったので、いつもいつも食べると、肉がうるさい。ナスやエビなどにしていればまだあっさりして良かったのかもしれません。とにかく、一週間連続同じものを食べざるをえない今の食生活は最悪です。家で作ったものを一週間食べ続けるか、朝、日暮里のそばを9時過ぎに食べるか、取手駅前で「毒」を食べるかの3択です。昼に職場でまともな食事をしていても、これではダメです。

 最近、またイライラし始めました。集中力が落ちてきました。怒りや悲しみ、喜びなどの感性はまだそれほど落ちてはいません。やる気自体もものによってはまだあります。しかし、写真に対する執着はすごく低下しました。
 今週土曜日、明後日はとりあえずオフですが、どれだけ休めるかは解りません。このごろ、雨が多くて外にも出られないので、散歩も滞りがち。

天気:晴れ時々くもり(茨城県取手市・東京都板橋区)

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