教育基本法
今日は昨日よりも寒い。最高気温が25℃くらいだったのでしょうか。湿度も低く、とても8月とは思えません。気分はまだ5月。あるいは10月?天気図を見ても、やはり西側に太平洋高気圧が偏っており、東日本には北からの高気圧(オホーツク海?)が張り出しています。今日は夜、土浦で会議をしましたが、寒い!
ところで、今日も情勢に逃げます。写真を撮れなかったから。
今日は教育基本法。勉強なんて全然してなくて、まともにその中身を読んだこともありません。しかし、一度聞いて印象に残っている文言があります。
教育基本法(現行)前文
われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
「民主的で文化的な国家」がどんな国かは別として、「世界の平和と人類の福祉に貢献」という理想の実現を「教育の力にまつべき」と述べていることです。
日本国憲法は確かに大きな理想を掲げていて、それが本当に実現すれば、多くの苦しい人たちが救われることは間違いありません。しかし、必ずしもその理想を実現しようと努力する人が、この日本国で多数を占めているわけではありません。社会の中で政治や社会に対する不満は確実に盛り上がってきていますが、けっこうそれは自分のことだけを考えている場合も見受けられます。その好例として、「介護サービスは充実させてほしいが、(財源のために)公務員は減らせ」とか、「子どもが荒れているのは教師が無能だからだ」とか。同じ境遇に置かれている者同士が、つぶし合いをしています。一般的に「分断」といわれる状態です。
しかし、そんな狭い考えは、ちょっと考えれば転換できます。公務員を減らさなくても財源は確保できるし、教師は文部科学省の学習指導要領を押しつけられていることを理解すれば十把一絡げに「無能」呼ばわりも出来ません。科学的にものを見る力とでも言いましょうか。
ちなみに、教育基本法では同じ前文で次のように述べられています。
教育基本法前文 続き
われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに…
「真理(と平和)を希求する」とは、「科学的にものを見る」という考えにとても似ていると思います。
そして、教育の役目は、「科学的なものの見方」を養うことだけではありません。社会的構造として不可欠な要因がもう一つあります。
教育基本法第1条
教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
第2条
教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によつて、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。
これは、本当の意味での自尊心(自己肯定感)を養うことであり、それはさらに人に対する思いやりや助け合いの心にもつながります。
…こういったことを、国と社会全体に義務として負わせているのが、教育基本法です。こういうスタンスが日本国憲法の完全実施を可能にするのだと僕は考えています。
しかし、今の日本は教育基本法が実現しているでしょうか。一部の「科学」も「自主性」も「自尊心」もない人たちの浅はかな解釈で、法の実現が妨げられているだけでなく、改定までされようとしています。
で、そもそも、改定が必要かどうか、です。自・民・公などの「与党」勢力がこぞって想定している案には、「自主自律」・「正義と責任」・「郷土愛」などが書かれています。僕のさっきの理屈から言うと、わざわざ書く必要はありません。あくまでも自主性や正義感、責任感、郷土愛などは条件があっての結果です。そういう感情を育む教育基盤を整えないで、希望的に感情を押しつけるやり方は、絶対に破綻します。僕は、今でも自主的に動ける部分もあるし、改定を唱える人たちよりは正義感もあるし、自分のやっていることにも一定責任感を持っています。そして、住んでいる取手市は好きです。
7月30日の取手の風景を見てください
今の日本が不況やら「ニート」やら詐欺・偽装やらで荒廃しているのは、詰まるところ国民一人一人のせいではありません。もちろん、教育基本法の不備でもありません。一部の既得権益にからんだ権力者が「真理と平和を希求する」人間を教育しなかったからであり、「個人の価値をたっと」ばなかったからであります。都合の悪い事実は隠蔽(BSEなど)、社会的弱者は切り捨て(鉄道やバスなどの廃線など)。好例ではありませんか?
天気:くもり(東京都板橋区・茨城県取手市・土浦市)
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