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愛せるということ、科学的であること

2006年8月8日

 今朝、10日ぶりくらいの雨でした。台風7号が近づいていて、関東地方は輪郭のはっきりした雲に覆われています。台風の近いことを思わせます。夕方は夕方で、雲の隙間を縫って、雲と地表の間に侵入する太陽光が、都会を真っ赤に染めています。空が燃えているよう。18時半頃の、板橋区の空です。

 帰りの電車。日曜日に買った本の、『さとこ先生のホームルーム2』を読み終えました。他の本を読む時は、立ちながら満員電車の中でなんて、疲れて読んでいられません。それを、たった6時間ほどで、イナヅマ読みしました。なんでこんなに集中できるんだろう。しかも、なんでこんなに涙が出てくるんだろう。
 さとこ先生とは、著者本人のことなのでしょうか。著者のおにつか氏もおっしゃっているように、さとこ先生は徹底して子どもたちに「寄り添」っています。自閉症や多動症、いや、そうでない子どもたちでも、授業に集中しない、いわゆる「グレ」る…。どうしてそんなに子どもたちを全身で愛せるの?
 でも、何となく感じるのです。どんな「障害」を持っている子どもでも、そうでない「健常」者の子どもでも、自分が受けとめられていると感じた時はほぼ間違いなく応えてくれるものであり、そうして受けとめることこそが「愛情」なのだということを。いや、これはまだ「頭で解った」段階です。僕にはまだ、人をそうして愛せる力なんて無い。これからです。これから。
 さとこ先生は、子どもに対する愛情だけではありません。その親に対しても、「科学」とも言えるような愛情を持っているようです。理不尽な要求を学校にしてくる「さまよう親」、うつ病に悩む母親と父親や娘が向き合う場面を描く「扉」。親も、子どもが苦しめられている同じ社会の中でまた苦しんでいます。世間には、「親がだらしない」という、「自己責任論」が跋扈(ばっこ)している中で、そういう親の気持ちを理解できるのです。ちょっとへそ曲がりな人を見ては、そのたびに苛立っている僕。恥ずかしくて仕方ありません。「自己責任論」という非科学を否定しながら、情けない…!
 また、さとこ先生たち教師は、子どもたちの感性を大事にしています。フィリピンの女性が国際交流の授業に出てくる場面のある「マンゴーシャワー」、豆腐屋さんの頑固親父さんとつながりを持ちながら「日本の経済の根幹に迫るテーマを探ろうとし」たり、家では「だらしない」女の子が、老人介護施設で職員にさえ心も開かなかったおばあちゃんと心からうち解けていったりする「普通の子」
 自閉症を持った子ども進也くんの成長を記した「空のにおい」。「発達検査」では3歳の彼。字を読むことも出来ません。しかし、音、画像、においを感じる“能力”は先生も及ばないほど。字を読む能力、計算する能力、そういうのとは違った能力を持っているのです。それを見ていて、なんだか、この進也くんを自閉「症」と呼ぶのが申し訳なく思うくらいです。ただ社会がこの進也くんのマイナーな能力を受けとめるだけの力がないんじゃないか、と。デジカメを持たせて彼に写真を撮らせたてみようとして、試した時、進也くんの感性にみんな驚きます。「すてきな写真」「どこで買ってきたの」「写真家の写真なの?」…「自閉症」の彼は立派な感性を持っているではありませんか。
 著者のあとがきにはこんな一文があります。

あとがき より

 憲法や教育基本法が改悪されようとしている今日の状況は、良心的な一教師がどんなに頑張っても子どもを守りきれない現実があります。だから時には「寄り添う」ということは「たたかう」ことでもあります。子どものために声を上げ立ち上がる、そんな勇気も持ち続けていたいなと思います。私の周りにはそんな先生がたくさんいます。


 『さとこ先生のホームルーム』を読んでくださった方によくいわれた言葉があります。
 「この本は電車の中で読んではいけないわね。だって涙が止まらなくなるもの。」

 もはやぐうの音も出ない。脱帽です。そして、電車の中で読んではならないというのは、事実です!
 次は、『さとこ先生のホームルーム』の前半を手に入れよう。

天気:くもり一時雨(茨城県取手市・東京都板橋区)

 

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